“サイコウの中学受験”ってなんだろう?著者は現役塾講師。学ぶこともできる教育エンタメ小説

文芸・カルチャー

PR公開日:2023/10/21

小さな挑戦者たち~サイコウの中学受験~
小さな挑戦者たち~サイコウの中学受験~』(騎月孝弘/ポプラ社)

 帰宅の遅くなった夜、塾帰りの小学生たちと駅で行き交うことがよくある。「こんな時間まで頑張っているんだなぁ」と思うなか、ふとその子たちの表情のなかにある幼さが目に留まる。小学校高学年と言えば大人並みに背の高い子もいるけれど、まだまだ子どもなんだな、と気付くとともにひとつの思いが過っていく。“首都圏の中学受験で、第一志望の中学校に合格できる割合は、約三割”。本書のなかにも記されている過酷な中学受験に挑もうとしている小さき者たちは、どんな葛藤を抱えながらそれぞれの目標に向かっているのだろう?と。

 おそらくその幼さゆえに自身の葛藤の在りかもわからない、言葉に出して誰かに伝えることもできない子どもたちそれぞれの胸のうちをこまやかに開いていくのが、『小さな挑戦者たち~サイコウの中学受験~』(騎月孝弘/ポプラ社)の主人公、中学受験に特化した家庭教師の会社に勤める25歳の篠宮結衣先生だ。著者の騎月孝弘氏は現役の塾講師。これまで数多の中学受験に挑む子どもたちに寄り添ってきた視点や思いが主人公にはやさしく注入されている。

 結衣先生が担当するのは、志望校も志望動機も家庭環境もそれぞれ異なる4人の小学校6年生。受験までの1年を追っていくストーリーの冒頭で結衣の心を過るのは、“いまのままじゃ、うまくいかない気もしていた。この親子には『中学受験に必要なふたつのこと』が欠けていたから”という不穏な言葉。殊に中学受験を考える親世代にとって、これは気になるワードだろう。

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 その親子のことが語られていくのは、冒頭の「春/動機 Lesson1 桐山家の場合」。マイペースな桐山カケルくんは結衣が受け持つ4人のなかでも一番幼さの残る子。母親の麻耶さんは何から何までお膳立てしてあげることを子どものためと思っている。受験はどこか他人事、教えたこともすぐに忘れてしまうカケルくんに、結衣は“受験勉強を始めるんだったら、やっぱり目標を持ちたいし、持たせてあげたい”と考える――。「夏/誘惑 Lesson2 羽住家の場合」では、どうしても行きたい中学があるのに成績が急降下した、羽住ひなたちゃんとの夏が描かれる。結衣が突き止めたその原因は、大人でもおおいに心当たりのあるもので……。

 教育エンタメ小説として楽しむことのできる本書には様々な仕掛けが隠されている。結衣先生が子どもたちとの時間のなかで試みる「勉強法メモ」がそのひとつ。ケアレスミスをしやすい子のための勉強法「ミスぐる法」、間違えたときの対処法として有効な「誤答マッチ法」、苦手とする教科や単元に向き合う「ゼロスタート法」……。現役塾講師が生み出した数々のメソッドがストーリーを楽しみながら自然と頭に入ってくる(巻末付録にも収録!)。

 結衣先生は子どもたちがつまずいたとき、勉強法のみならず、その子たちが属する家庭とも徹底的に向き合う。そこに必ず原因を見つけ、それぞれの子に合った解決法を見出していく。そこにはもちろんプロの家庭教師としての知識や技術はあるものの、“わたしは……、どうだったかな?”というところから巡っていく血の通った思考があるのがこの物語の魅力だ。子どもたちの保護者から彼女が一目置かれているところに“東大卒”という肩書がある。だがその肩書によって挫折した彼女の経験が物語のなかで少しずつ語られていくところも。

「秋/味方 Lesson3澤村家の場合」では、難関校を目指す努力家でストイックな澤村怜くんがついしてしまったあることから家庭内の衝突が描かれる。“東大を出ているから任せたんだ”という言葉を結衣に放つ彼の父親は、自身の成功体験を糧に“全部、自分基準”で意見する人。結衣はそこで自分の昏い過去と徹底的に向き合わざるを得なくなる。これまで順調に進んできたのに、受験直前、思わぬ事態に見舞われた首都圏屈指の難関校に挑む及川美咲ちゃんとの日々を描いた「冬/重圧 Lesson4 及川家の場合」でも。

 結衣先生が子どもたちや家庭と向き合うなかで思考する“わたしはどうだったかな?”。そこから引き出されていくのは、問題の解決方法を導き出すものばかりではない。自分の頭で考え、再び歩ける瞬間を迎えることができるようになった際、友人や親からかけてもらった大切な言葉――。そこから彼女が気付いていくことは、中学受験を控える子どもを持つ親世代のみならず、子育てに携わる人、そしてちょっと迷い道に入り込んでしまっているすべての人に刺さるだろう。最終章「合格発表」のページを開く頃には、4人の子どもたちを熱くなって応援している自分に気付く。そしてタイトルに掲げられた“サイコウ”って、こういうことなんだ!ということにも。

文=河村道子

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