〈経血がついた布団にしみこませるメイク落としのような男〉。18歳で文藝賞を受賞した日比野コレコ氏の表現力にヒリヒリする

文芸・カルチャー

更新日:2024/1/24

モモ100%
モモ100%』(日比野コレコ/河出書房新社)

 18歳で文藝賞を受賞した日比野コレコ氏の『ビューティフルからビューティフルへ』は余りにも衝撃的で鮮烈なデビュー作だった。日比野氏は、和歌や都々逸、俳句、漫才などと並び、フリースタイル・ラップを好み、大森靖子、ザ・ブルーハーツ、ゆらゆら帝国の歌詞や曲名をさりげなく引用していた。だが、新作『モモ100%』(河出書房新社)は色合いが違う。どこを切ってもパンチラインの連続なのは不変だが、物語性がせりだし、普遍性を獲得している印象だ。

 主人公は苛烈な恋愛に身をやつす女子高校生のモモ。〈恋愛こそ武器であり革命、それ以外は退化だ〉という彼女は、恋愛なしでは生きていけない体質だ。彼女が追いかけるのは同じく恋愛中毒者の同級生・星野。彼は、クラスの女子全員に告白し、恋愛を〈生き残るための手段〉だという。モモは、インターネットでパンツを売り、刹那的な〈使い捨ての恋愛〉に胸を焦がす。星野はモモとの婚姻届を提出するが、同居することもなく、モモは新しい恋人の蜜に夢中になる。

 ティーンの不安定な恋愛特有のトキメキとドキマギが交錯/交差し、乙女心がバーストを繰り返す。特に瞠目すべきは、日比野氏特有のメタファーやレトリックである。〈テニスコートに落ちたそばかすとニキビとほくろとを仕分けるような毎日だった〉という書き出しからして秀逸だし、モモは星野を〈最悪で最低で、誰からも一度好かれて二度三度嫌われるような人間〉で〈経血がついた布団にしみこませるメイク落としのような男だった〉という。切れば血の出るような、ヒリヒリした表現の連続である。

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 筆者が本書を読んで連想したのは、川本真琴というミュージシャンのファースト・アルバム『川本真琴』だ。一瞬の刺激やスリルを求める恋愛模様を綴った同作は、歌詞カードを追っても目が追い付かなかった。それは、ページを追う目が何度も止まってしまう本書の文体に似通っている。〈生き方を学ぶのにはもう遅いかな?〉〈だってもう十九なんだよ。死は目の前だって感じがするよ〉というのが本書からの引用。この一節は〈成長しないって約束じゃん? 冗談だらけで猛ダッシュしてよ〉という川本のデビュー曲「愛の才能」の歌いだしを連想させる。生き急ぐ主人公が喜怒哀楽をストレートに吐露するところも共通しているのではないか。

 ちなみに筆者は、日比野氏の前作『ビューティフルからビューティフル』の紹介記事で、音楽(特にラップ)との切り結びを強調しすぎたのでは、という反省がある。日比野氏はX(旧Twitter)で〈映画とかお笑いとか音楽、漫画、短歌も詩もそりゃ大好きだけど、前提として小説がいちばん好きです〉と書いている。そのうえで、大江健三郎をはじめ、多くの小説を養分としている旨を明確に述べていた。

 モモの恋愛が本書の主軸であり、ジャンル的には恋愛小説ということになるのだろうが、それにしては斬新で創意あふれる作品だ。ただ、若者ならではの新しい感覚が生んだ小説、という形容を使うのには多少ためらってしまう。むしろ、ブッキッシュな日比野氏が、過去の膨大で豊穣な文学の遺産を正当に受け継ぎ、未来へとバトンタッチしてゆくような意思を感じさせる。マジック・リアリズム文学もシュールレアリスムも大江健三郎も背負って、未踏の雪原へと歩を進めている。そんな日比野氏の行く末がますます楽しみになってきた。

文=土佐有明

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