井上尚弥の敗者にフォーカスを当てた1冊。彼はなぜすごいのか、井上戦の経験者が語ったノンフィクション『井上尚弥と闘うということ 怪物に出会った日』

文芸・カルチャー

公開日:2024/3/30

井上尚弥と闘うということ 怪物に出会った日
井上尚弥と闘うということ 怪物に出会った日』(森合正範/講談社)

 大して美味しくない料理を、さも美味しそうにレポートするのは簡単だ。褒めるところがソースしかなければ、ソースだけを徹底的に褒めればいい。しかし、本当に美味しい料理の美味しさを伝えるのは難しい。ソースもいい、肉の柔らかさもいい、味もなにもかもが完璧で、店の雰囲気までよかったりすると、途端にどう褒めていいかわからなくなる。

 東京新聞運動部記者の森合正範は、“怪物”井上尚弥の凄さを問われたとき、もどかしさを感じた。井上の凄さを伝えようとすると、どうも薄っぺらくなる。森合自身も、井上のなにが凄いのか、本当はわかっていないような気がした。

「だったら、対戦した選手を取材していったらどうですか」――編集者の思いがけないアイデアから、井上と対戦した選手への取材が始まった。井上の戦歴は、この時点で17戦全勝15KO。つまり、対戦相手に取材するということは“敗者”に取材するということだ。『井上尚弥と闘うということ 怪物に出会った日』(森合正範/講談社)は、敗者にフォーカスした禁断のノンフィクションである。

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 森合には葛藤があった。「深く傷ついた敗戦に私のような第三者が触れていいのだろうか。もしかしたら思い出したくない過去かもしれない。そもそも、負けた選手がきちんと話してくれるのだろうか。いや、敗れた試合、しかも対戦相手の強さを聞くなんて、失礼ではないか」――。

 しかし、取材を進めると、だれもが井上戦について長時間話してくれる。森合は驚いたというが、読者にはなぜ彼らがここまで詳細に話すのかがわかる。森合の人柄と、取材に対する真摯な姿勢、そして取材力の賜物だろう。生い立ちから丁寧にヒアリングし、取材対象者の人生に寄り添うようなインタビューはさすがとしか言いようがない。

 松田ジムの佐野友樹は、網膜剝離の恐怖と闘っていたことを告白。メキシコのアドリアン・エルナンデスは、井上に負けたあと、酒浸りの堕落した日々を送るようになったと告白。森合を前に、敗者たちは次々と真実や本音を語り始める。しかし、どんなに頑張ろうと、人の人生が変わろうと、井上尚弥に勝てる者はいない。その切なさに、涙を禁じえない。

 メキシコのダビド・カルモナは、井上とフルラウンド闘ったことによって、充足感を得て、自己管理が甘くなってしまう。森合はこう綴っている。

 向上心を持ち続けるのは難しい。六歳からボクシングを始め、十八歳でプロデビューし、二十五歳になった。日々をボクシングに捧げる。言葉にするのは簡単だが、毎日のロードワーク、食事制限、体重管理、練習では同じことを反復する。それらを積み重ねていくことがいかに厳しく、険しい道のりか。

 森合はボクシングの厳しさを理解し、また生きることの過酷さも理解している。だからこそ、敗者たちは彼に包み隠すことなくすべてを語りたくなったのだろう。彼らは森合にすべてを語ることで、井上戦を初めて昇華できたのではないかと思う。

 人生は勝負の連続だ。だれもが勝ったり負けたりを繰り返しながら生きている。本書を通して、「いかに生きるか」ということを深く考えさせられた。本書はボクシングというスポーツを超越した、極上の物語であり、人生の指南書であると感じてならない。

文=尾崎ムギ子

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