私が愛したのは大人でも、女性でもない―BL界の巨匠が描く、「ペドフィリア=小児性愛」に苦悩する人々

恋愛・結婚

2017/9/24

『ラブセメタリー』(木原音瀬/集英社)

 性愛の形はさまざまだと頭では分かっていても、心は受けつけない…そんなとき、よく言われる説得の言葉がある。「いいじゃん、誰にも迷惑かけてないんだし」。では、「誰かに迷惑をかける」性愛は永遠に理解されないのだろうか? 自分が望んだわけでもない生理現象に振り回される人間は、「悪人」で「社会不適合者」なのだろうか?

『ラブセメタリー』(木原音瀬/集英社)はペドフィリア(小児性愛)に苦悩する人々を中心にした連作短編集である。BL小説家としてキャリアを積んできた作者は、性的マイノリティの心情を深く考察してきた。だからこそ、本作でも特殊な性癖を持った登場人物たちがリアルに造形されている。彼らを最初から疎外するのではなく、一人の人間として描く内容に、読者は衝撃を受けながらも自らの価値観を揺さぶられるだろう。

 表題作「ラブセメタリー」で、主人公の町屋が働く精神科に久瀬というハンサムな中年男性がやって来る。久瀬は片思いの相手への性欲が爆発しそうで、いつかレイプ事件を引き起こすのではないかと不安になっていた。セックスパートナーを積極的に作ってみてはどうかと勧める精神科医の言葉に久瀬は返す。

「…僕は大人の女性を愛せません。僕の好きな人は、大人でも女性でもないんです」

「あのおじさんのこと」で、出版社勤務の伊吹は成り行きから「伸さん」と呼ばれていたホームレスの生涯に興味を持つ。教養もあり、性格も穏やかだった伸さんはホームレスらしからぬ人間だった。しかし、伸さんは幼児にしか欲情できない男性で、近隣の少年少女を住処に誘い込んでは悪戯を繰り返していた。取材を続ける伊吹は、伸さんの意外すぎる経歴を知る。

「僕のライフ」は森下という男の一生の物語だ。少年時代、幼い従姉妹の世話をしていて性に目覚めた森下は、以後、発育が進んだ女性を愛せなくなってしまう。小学校教師になった森下は教え子に手を出してしまうが、彼女が初潮を迎えると冷たく突き放す。そして、東南アジアで幼児を金で買うことを生き甲斐にしていく。

 彼らの生き様は日本社会で認められるものではない。だから、久瀬のようにエリートでありながら欲望を押し殺して生きるしかない場合もある。伸さんのように社会から追放されても欲望と忠実に向かい合う者もいる。いずれにせよ、一般的な感覚を持っている読者からすれば、彼らが同情の余地のない変質者に見えるだろう。

 しかし、作者の文章からはむしろ、彼らの背負った哀しみが深くにじむ。性愛とは、人によっては生きる目的そのものになってもおかしくないほど強い衝動だ。しかし、彼らの衝動は禁忌扱いされ、行き場所がない。そして、仮に相手と両思いになったとしても、成長してしまえば愛は失われる。まさに「愛の墓場」というタイトルが示すように、未来がない性愛は彼らの心をズタズタに引き裂いていく。

同性愛はね、あと十年、二十年もしないうちに世間に受け入れられるんじゃないかな。そのうち同性愛者を非難する人間の方がおかしいと言われるような時代が来ると思うよ。けど僕らは違う。子供を愛するというだけで、永遠に理解されないんだ。
(「ラブセメタリー」)

 同性愛者である町屋に久瀬は冷たく言い放つ。自らも性的マイノリティである町屋は無意識のうちに久瀬を下に見て安心していた。その本音を看破されるのだ。そして、久瀬の言葉は我々、自らを「ノーマル」と信じて疑わない読者にも向けられている。「迷惑さえかけなければいい」「犯罪さえ起こさなければいい」というマイノリティへの慰めが、いかに欺瞞に満ちた残酷な内容なのかを思い知らされる。そう、性愛を抱えて生きる限り、世間の常識さえ変われば、我々もまた久瀬や伸さんの側に立ってもおかしくない存在なのだろう。

文=石塚就一