増加する「キレる若者」「キレる老人」…キレたときの暴力と火事場の馬鹿力に違いはあるのか?

暮らし

公開日:2017/9/29

『激情回路 人はなぜ「キレる」のか』(R・ダグラス・フィールズ:著、米津篤八、杉田 真:訳)/春秋社)

 誰しも、一度は何かに対して怒りを覚えたことはあるだろう。時には、その怒りに任せるまま衝動的に行動して深刻な事態を招いた経験した人も居るかもしれない。だが、いわゆる「カッとなる」その状態はどうして生まれるものなのだろうか? 『激情回路 人はなぜ「キレる」のか』(R・ダグラス・フィールズ:著、米津篤八、杉田 真:訳)/春秋社)では、人が持つ“怒り”という感情を科学的に解剖している。ここでは、本書で紹介されている「9つの引き金(トリガー)」について紹介しよう。

 9つのトリガーとは、命の危険、侮辱、家族、環境、仲間、序列、資源、部族、阻止である。

・命の危険。ほとんどの人間が、そして多くの動物が、命に関わる攻撃に遭うと身を守ろうとする。
・侮辱。侮辱は激情反応を引き起こしやすい。
・家族。動物は、攻撃などの脅威から子供や家族を守ろうとする。
・環境。ほとんどの動物は自分の生活環境、すなわち縄張りやすみかを守ろうとする。
・仲間。仲間を作ったり守ったりするための暴力的行動はジャングルのルールである。
・資源。野生動物は食物を得るために戦わなければならない。食物を手に入れ、獲物を盗まれるのを防ぐために暴力が行使される。
・部族。人間には生存のための強固な社会構造が必要なので、自分の部族を命がけで守る傾向がある。
・阻止。罠にかかった動物は、自分の足をかみ切ってまで縛めを逃れようとする。(自分の動きを“阻止”する者に対する怒り)

 個人差はあれど、人の怒りとはおおむねこれら9つのどれか(または複数)のトリガーに触れられたことに起因していると考えられる。例えば侮辱などはわかりやすいだろう。侮辱されれば多くの人は怒るし、その内容によってはいわゆる“キレる”こともありうる。他にも、自分や家族に危害を加えようとした相手に対して怒り、攻撃しようとする行動もごく自然なものだ。本書中に紹介されているとある記事では、怒りに関して以下のように述べられている。

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「怒りは非常に強力な感情で、欲求不満、苦悩、いらだち、失望などの感情から生じます。怒りにはかすかないらだちから激情までさまざまなものが含まれ、どれも正常な人間的感情です」

 だが、神経科学者である本書の著者にしてみれば、上記のような考えは激情のトリガーと激情の反応を混同しているのだとか。つまり、怒りの感情は、トリガーなど特定の条件を満たすことで引き起こされる脳の反応であり、これは自制心を失った結果であって、原因ではないのだ。怒りの感情を抑えるアドバイスがしばしば効果を発揮できないのがこのためだ。手っ取り早い怒りへの対処法は、深呼吸をすることや、「リラックス」、「焦らない」といった言葉を口に出

して繰り返すことなどが挙げられる。いわゆる“キレそう”になった時は、その感情自体は仕方がないと諦め、起きてしまった怒りという結果とどう向き合い解消していくかが実は大事なのかもしれない。

 ちなみに、瞬間的な激情によって良い結果が生まれることもある。いわゆる火事場の馬鹿力である。それでは“キレる”ことと“火事場の馬鹿力”は違うのだろうか。結論から言えば、メカニズム自体は同じである。“キレる”時に暴力衝動が伴えばそれは“火事場の馬鹿力”になりうるし、その力によって自分や家族に降りかかる危機を振り払うことができたのならば、それは“キレた”のではなく“火事場の馬鹿力を発揮した”ということになるだろう。要は、結果の違いなのである。激情回路が作動し、暴力が振るわれた結果が悪いものであれば“キレた”と言われ、良いものであれば“火事場の馬鹿力”と言われる。そして、こういった暴力衝動は、もともとは自然界で生き残るための本能でもある。

 近年「キレる若者」「キレる老人」など突如として“キレる”人が増えていると言われるのは、文明化が進むにつれて、この本能を持て余す人が増えたということかもしれない。使い方次第では、自分や家族を守ることもできる激情回路――少しでも、これを扱いこなせる人が増えることを願ってやまない。

文=柚兎