シーナ・カマル著、森嶋マリ訳『喪失のブルース』母に捨てられ、父は自殺、ホームレスも経験した女の実子が失踪――関係者の不審死に、やがて浮上する15年前の事件の接点とは?

文芸・カルチャー

2017/11/6

『喪失のブルース』(シーナ・カマル:著、森嶋マリ:訳/ハーパーコリンズ・ジャパン)

 海外ミステリーの世界には、日本人の常識をブッとばす、とんでもなく魅力的なヒロインがしばしば登場する。“孤独をかかえたハードボイルドな女”というキャラもそのひとつ。日本にもないわけではないが、想像を超える相手にも怯まず、深い傷を負いながらも果敢に挑むタフネスはド級。ある種のカタルシスを覚えるほどだ。

 新刊『喪失のブルース』(シーナ・カマル:著、森嶋マリ:訳/ハーパーコリンズ・ジャパン)の主人公・ノラは、そんな海外ハードボイルド系ヒロインの中でも異色中の異色かもしれない。なにしろキャッチフレーズは「ホームレス以上、探偵未満」。他人の嘘を見抜く天賦の才からバンクーバーの探偵・ジャーナリストの調査助手をしているが、住居は勝手に住み着いた事務所の地下で、服はいつも毛玉だらけのカーディガンとジーンズ。化粧っ気もなく、事の次第では何日も着替えなくても本人的には平気(ただし、周囲が匂いに敏感になる)という強者だ。先住民の血をひく彼女は、物心つく頃に母に捨てられ、父は自殺。里親のもとを点々として育ち、若くして家出し路上生活。入隊経験もあるが、生まれ持ったアルトの美声でブルースを歌って生きる道を選び、ある夜、歌っていたバーで恐ろしい事件の被害者となった過去を持つ。心に深い傷を追い、唯一孤独を癒してくれる雌犬・ウィスパーを相棒に、社会の底辺でひっそり生きる現在。せっかく手を差し伸べてくれる相手にも、思わず恩を仇でかえす真似をしてしまう彼女にとって、最大の武器は己のみを頼りにストリートで育んだ「野性のカン」だ。

 そんなノラの鮮烈デビューとなった本作。物語は彼女を襲った恐ろしい事件から15年後、娘が失踪したと裕福な建築家夫婦がノラを訪ねてくることに始まる。その娘というのは、実はノラが15年前に産んだ直後、養子に出した実子。その存在を心から消していたノラだが、娘が自分を探していたことを知り、止むに止まれず密かに調査に乗り出すと、すぐにそれが単なる家出ではないことを直感する。時を同じくしてノラの過去を知る唯一のジャーナリストが何者かに殺され、その直感は確信に。ノラはただ娘を助けたい一心で、まるで野良犬のように危険な道を歩み始めるが、それは同時に彼女の陰惨な古傷をさらに深くえぐるものでもあった。

 ほぼノラの視点で語られる物語世界は、細かい断片がじりじりと積み重なるだけでなかなか全貌を現さず、得体の知れない重苦しい緊張を強いる。だが、ノラが捨て身で道を拓くたびに視野は広がり、やがて見えてくるのは予想もしない巨大な組織と利己的な悪意。だが「母」であるノラは、満身創痍でそれに立ち向かう。その姿は強く、気高く、そして美しい。

 舞台は美しい街で知られるバンクーバー。だが、この物語で見せる風景は、先住民族やホームレス、格差、依存症、環境破壊…多くの社会矛盾をはらみ、じっとりした雨で暗い鈍色に染まる。その重層性はいわゆる「北欧ミステリー」ファンも気に入るに違いない。また、ノラだけでなく多くの個性豊かな人物たちの魅力、さらにノラにさりげなく寄り添う愛犬との「絆」など、味わいも多彩だ。「圧倒的リアリティで読む者の胸を打つキャラクター陣、味わい豊かな語り口」(ジェフリー・ディーヴァー)、「決してあきらめない不屈のヒロインと決してあきらめない不屈の作家、その出会いが比類なきデビュー作を生んだ」(リー・チャイルド)と、現代ミステリー界を代表する作家たちも絶賛する本作。今後、三部作になるとのことで、ますます先が楽しみなアンチ・ヒロインの登場を、いち早く楽しみたい。

文=荒井理恵