ニュータウンの社会史から見つめ直す、わたしたちの社会と暮らし

社会

2017/12/28

『ニュータウンの社会史』(金子淳/青弓社)

“ニュータウン”と聞くと、どのようなイメージが浮かぶだろうか。高度経済成長期のシンボル、高齢化時代のトップランナー、人工的な実験の街、もしくは“萌え”の対象……『ニュータウンの社会史』(金子淳/青弓社)の冒頭では、このようなキーワードが並べられる。たしかにどのキーワードも、メディアで一度は見かけたことがあるだろう。

 現在の日本にはニュータウンと名づけられた住宅地が数多くある。よくよく確認してみると、数戸程度の宅地から高層マンション群、一戸建てが並ぶエリアまでもが自由にニュータウンと銘打たれて売り出されているという。このように現代日本では「規模や開発主体にかかわらず何の制限もなく自由に名付けられた、郊外に立地する新興住宅地全般」として、広義のニュータウンが存在する。その一方で本書が注目するのは、狭義のニュータウンだ。

 狭義のニュータウンとは、次の3つの条件に合致したものと定義される。

(1)設置主体:公的セクターが主体となって開発していること
(2)開発手法:新住宅市街地開発法や土地区画整理法のような法的根拠によって、計画的な開発手法が規定されていること
(3)規模:数~数十の住区によって構成され、ある程度の規模があること

 さらに住宅機能だけでなく、商業施設や公共施設、学校などのさまざまな都市機能を有する複合体であることも、狭義のニュータウンの特徴であるという。

 このような狭義のニュータウンは、1960年代から1980年代にかけて同年代が大量に入居し現在高齢化を迎えており、建物の老朽化なども進んでいることから、日本社会が将来直面するであろうさまざまな課題が“先取り”の形で生じているとみなせるという。そのためニュータウンの過去と現在を考えることは、将来の日本社会のありかたや行く末を考えるために重要なのだ。

 そんな関心のもと、本書で取り上げられているのは日本最大級の規模をもつ多摩ニュータウンだ。多摩ニュータウンは東京西郊に開発され、東西14キロ、南北2キロから4キロという広大な面積を誇っている。1965年に計画が決定され、1971年に第一次入居がはじまって以来、2000年代初頭に至るまでの長期間にわたり開発が進められてきた。

 多摩ニュータウンは学術やメディア、趣味娯楽などさまざまな分野から関心が集まってきた。しかし著者が指摘するのは、多摩ニュータウンの“地域社会” については長らく見過ごされてきたのではないか、ということだ。つまり外野から“都市の病理”“萌え”などとラベルをつけるだけで、そこで生活する人々へのまなざしが欠けていたのではないかという指摘だ。

 わたし自身もまちなかの建築物を見るのが大好きで、いわゆるニュータウンや団地の建築物も、散歩がてら眺めてみるのが楽しみのひとつだ。著者は「楽しみ方は個人の自由だし、その自由は保障されなければならない」としたうえで、こんな強い主張を示す。はっとページをめくる指を止めた部分だった。

「『異文化』を見るような目でまなざされ、『新鮮な驚き』や『郷愁』や『観賞』の対象となってしまった団地の居住者たちは、その視線をどのように感じるのか」
「そこに住む一人ひとりに具体的な生活やその積み重ねがあり、(略)その多様な生の営みと真剣に向き合わなければ、決してニュータウンのことはわからない」(p.11)

 この立場をふまえ本書では、多摩ニュータウン開発前/開発後の地域社会のありようを社会史として丹念に描きだしていく。ニュータウンは決して、空白地帯に突如建築物が出現し、のっぺらぼうな住民が大量に流入したのではない。開発前から農業や畜産業などとともに暮らしを営む住民がいて、彼らが苦悩や葛藤のすえ開発事業を受け入れたことで現在のニュータウンがあるのだ。また開発後にやってきた人々も、住環境の悪さや生活の不便さなどの困難に主体的に向き合いながら暮らしをつくりあげてきたのだ。

 そして彼らはいまや、迫りくる高齢化や老朽化の波にも向き合い、多様な実践を通して対処しようとしている。

 住民たちの活動や語りを読んでいると、そこにある暮らしに目を向けないままニュータウンを語ることのおこがましさを痛感する。また本書を通して見えるニュータウンの未来、そして現代社会の未来は、必ずしも悲観的なものとはいえない。住宅、コミュニティ、そして人生――わたしたちの将来を考えるため、ぜひ読んでほしい1冊だ。

文=市村しるこ