『巨乳の誕生 大きなおっぱいはどう呼ばれてきたのか』――胸の谷間の歴史と文化

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更新日:2018/1/29

『巨乳の誕生 大きなおっぱいはどう呼ばれてきたのか』(安田理央/太田出版)

 下着メーカー「トリンプ」の調査によれば、この30年間に女性の「おっぱい」は大きくなっている傾向があるという。食生活の変化や体を動かす機会の減少により脂肪がつきやすくなったことなどが原因として考えられるようだが、科学的な根拠は専門家が研究することだろう。では、「おっぱい」に関する人類学的な研究は誰がするのかといえば、今回取り上げる『巨乳の誕生 大きなおっぱいはどう呼ばれてきたのか』(安田理央/太田出版)の著者である。本書は、グラビア雑誌やAVメーカーなどの関係者に取材し、国会図書館に通いつめて「ひたすら大きなおっぱいの事を考え続ける1年間だった」と著者が振り返る労作だ。

 世界史における「おっぱい」はというと、先史時代から発掘された女性像は大きな乳房と腰回りを強調した豊穣のシンボルであり、性的な意味づけはされていなかったと論じている。それが性的な意味を持つようになったのはキリスト教の影響が大きく、性は淫らなもので悪であるという発想から、巨乳は卑しいものとされ胸の谷間は「悪魔の隠れ処」とさえ呼ばれていたそうだ。しかしそれは、同時に「おっぱい」に魅了される者もいたという証左であろう。フランス国王ルイ16世はマリー・アントワネットを迎える時に、胸の大きさを確認していなかった秘書官を「この阿呆めが。女を見るならまず胸を、というのが鉄則ではないか」と怒鳴り散らしたとか。

 一方、日本に目を向けると、そもそも男女を問わず裸体画や裸体彫刻といった文化が無く、江戸時代の春画においても強調されているのは性器であり、着衣のまま乳房は描かれないか、描かれていても簡素な曲線のみで乳首に色も塗っていないくらい素っ気無い表現だったことから、裸への興味が薄かったと考えられるようだ。当時の物語においても「乳房をまさぐるという描写はほとんどありません」と、江戸時代に詳しい作家の永井義男氏の言葉を紹介しており、当時のセックスハウツー書の中でさえ、乳房への前戯に触れているものはごくわずかだそうだから、やはり性の対象ではなかったのだろう。それと「おっぱい」の語源は江戸後期に現れた言葉で、その成り立ちは「おおうまい」が縮まったらしく母乳のことを指していて、あくまで乳房は育児のためのものと考えられていたのだと推論される。

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 そして現代史での「おっぱい」はといえば、なかなかに受難な境遇だった。なにしろアメリカでは、1960年代に大学教授のストラスマン博士が「バストサイズと性格および知能の関係」についての研究を発表し、日本でも複数の医学博士が女性のホルモンの働きと知能を関連付けて、胸の大きな女性は「知能が低下する」などと独自の理論を提唱し、マスコミがそれを拡めることに加担している始末。それが直接の理由ではなかろうが、1981年に誕生したアダルトビデオ=AVはもちろん裏ビデオにおいても、乳房の大きさを売りにした作品は少なく巨乳への関心の低さがうかがえ、「爆乳」といったタイトルの付いた作品が誕生するまでの経緯は、世の中の常識の移り変わりを追体験するようで読み応えがあった。

 本書では他に、1889年のパリ万国博覧会で現代のブラジャーの元祖的な存在とされる肩から紐で乳房を持ち上げる下着が開発されたことや、1970年代になって女性解放運動のウーマンリブと同調するかのように、乳房をブラジャーから解放しようというノーブラ運動が起こったことを知った。また、肉体的な女性を表す「グラマー」は、英語では魅力とか魅惑を意味し、綴りこそ違うものの文法を意味する「grammar」と語源は同じで、ギリシア語の「文字を読み書きする能力」から派生したというから、知性と巨乳の間には実は関係がある。斯くの如く「おっぱい」に想いを馳せ論じることは、知的かつ文化的な営みなのだ。

文=清水銀嶺