新聞は本当のことを伝えているのか? 「安全保障関連法の改正」「原発再稼働」の社説の見出しを比較して分かったこと

社会

2018/1/29

『すべての新聞は「偏って」いる ホンネと数字のメディア論』(荻上チキ/扶桑社)

 新聞には「信用」や「信頼」というイメージがある。その理由を探ってみれば「正確に」「ありのまま」「公平中立な立場で」情報を伝えるメディアであると思われているからだろう。ところが、実はそうではない。新聞に限らずで、仮にこの世に「真実そのもの」があったとして、それをそのまま正確に伝えることのできるメディアは存在しない。

 すべてのメディアにはバイアスがある=すべてのメディアが「偏っている」という前提のもと、それがいかなる傾向や度合いに「偏っている」のかを適切に知ろうと試みたのが本書『すべての新聞は「偏って」いる ホンネと数字のメディア論』(荻上チキ/扶桑社)である。

 タイトルの通り、本書は新聞を例にメディアの「偏り」を明らかにしようとしたものである。対象は全国紙の主要5紙、読売、朝日、毎日、日経、産経だ。なるほど、それぞれキャラが立っている。日本ABC協会レポートに、各社が自社のスタンスについて寄せた特徴的なフレーズを抜き出すとこうなる。

読売新聞「真実を追求する公正な報道」「勇気と責任ある言論」
朝日新聞「ともに考え、ともにつくるメディア」「課題解決模索型報道」
毎日新聞「毎日新聞150年そしてその先へ」「選ばれるメディアを目指して」
日経新聞「マクロ・ミクロの経済情報を分かりやすく冷静に報道」
産経新聞「日本にあって良かったね」「読者第一」

 大衆紙としての責任感の読売、民主主義アピールの朝日、伝統と質の毎日、経済特化の日経、保守的な読者への親和性の産経、と個性が分かれる。

 では、報道についてはどうか。例として2015年に行われた安全保障関連法の改正。集団的自衛権を部分的に容認し、自衛隊の活動範囲を見直すため、安保法の改正を主張する与党と、安保法制の違憲性や自衛隊員の危険性の増加を指摘する野党との攻防が繰り広げられた。結局、安保法は成立したが、その前段、自公が安保法制の内容に合意した際の各社の社説の見出しは次のようなものだった。

読売新聞【自公安保合意】切れ目ない危機対処が重要だ 平和確保へ自衛隊の活動広げよ
朝日新聞【安保法制の与党合意】際限なき拡大に反対する
毎日新聞【安保法制の与党合意】どんな国にしたいのか
日経新聞 安保法制整備にはなお宿題が山積みだ
産経新聞【安保法制の合意】「仲間守る国」への前進だ 実効性ある条文作りめざせ

 安保法制に賛成を示す読売と産経、反対を示す朝日と毎日、バランスを取ろうとする日経というスタンスの違いが、見出しだけでも読み取れる。

 原発再稼働をめぐる問題についてはどうか。2015年に川内原発が運転再開された際の社説で、こう論じている。

読売新聞【川内原発再稼働】電力安定供給へ重要な一歩だ 安全の確保に万全を期したい
朝日新聞【原発再稼働】川内をひな型にするな
毎日新聞【川内再稼働】原発依存社会に戻すな
日経新聞 安全最優先し 原発再稼働を着実に
産経新聞【川内原発復活】稼働増やし国力再生を 首相は規制委の改革を急げ

「原発推進」か「脱原発」か、社によって異なり、それによって社説のトーンも決まる。

 この他、購読者層、新聞に登場する有識者の顔ぶれ、犯罪事件の分析例など多方面からの比較を行っている。検証データも掲載されており、説得力のあるつくりとなっている。個人的には、殺人事件の論じ方にもけっこうな違いがあり驚いた。

 こうした「偏り」を明らかにする目的とは何か。メディアはどれも「偏って」いるのであれば、私たちは何を求めればいいのか。著者は「各メディアの『偏り』を自覚しながら、安易に『真実』を求めず、自分の『偏り』と社会の複雑さと向き合うということが重要となる」としている。また、「いちばん恐ろしいのはこのような、自分こそが『偏り』のない位置にいると疑わなくなってしまうことで、『気持ちのいい』メディアの言い分を鵜呑みにし続けることである」とも。ネットであれ新聞であれ、多少の偏りがあることを自覚しつつ、正しい判断ができる目を養う努力をしなければ、と思う。

文=高橋輝実