いまや2人に1人が借りている「奨学金」ははたして悪なのか?

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2018/3/16

『今こそ「奨学金」の本当の話をしよう。(ポプラ新書)』(本山勝寛/ポプラ社)

 いまや大学生の2人に1人が借りているといわれている「奨学金」。わたしも学生時代は日本学生支援機構から奨学金を借り、気兼ねなく勉学にいそしむことができていた。奨学金を借りることで経済的な心配をすることなく学業に専念できるという恩恵にあずかる人がいる一方で、大学卒業後奨学金の返済地獄に苦しむ人もいる。特に最近では、この返済地獄に苦しむ人が急激に増え、また、政府が新たに給付型奨学金制度の創設を発表したこともあって、メディアでは奨学金の話題がたびたび取り上げられている。

 本稿では、社会問題化しつつある「奨学金」について正しく理解するために『今こそ「奨学金」の本当の話をしよう。(ポプラ新書)』(本山勝寛/ポプラ社)の中身を少しだけご紹介しよう。

■2人に1人が貸与を受ける「奨学金」は悪か?

 メディアによる過度な奨学金タタキが始まったのは、どうやら2010年ごろからのようだ。確かにこのころから奨学金の延滞者数の増加が目立ってきている。しかし、奨学金の貸与者や返済途中にある者の数も年々増えてきていることを忘れてはいけない、と本山氏は言っている。全体が増えれば当然に部分も増えるということだろう。

 勘のいいみなさんなら、ここで本当に注目すべきなのは、奨学金延滞者の「割合」であることが、もうお分かりだろう。延滞者数の割合に注目してみると、2004年時点で10%弱だったものが2016年には4%弱まで、6ポイント減少しているのである。

 つまり、ここで本山氏が言わんとすることは、数だけ見ると延滞者数は増加しつつあるが、それ以前に貸与者が増加しているので、数だけに注目した短絡的な批判は当たらないということだ。

 わたしたちがすべきことは、奨学金の表面部分だけを見て批判することではなく、本質部分に迫る分析をして問題と正面から向き合うことなのではないだろうか。

■これからの奨学金はどうあるべきか?

 以前は、奨学金は苦学生のためにあるもの、というイメージが強かったが、高等教育を受ける人が多くなった現在では重要な社会的インフラになりつつある、と本山氏は言う。現行の制度では、ほとんどの奨学金が貸与型で、給付型は非常に限定的である。教育を受ける機会がみなに均等に与えられ、なおかつそれがきっかけとなり貧困の連鎖を断ち切るためには、貸与型の奨学金よりも給付型奨学金のほうが必要になってくるのではないだろうか。

 いまの日本の財政状況からすると、国から学生に給付型奨学金を支給するということは難しそうだ。そこで本山氏は、企業や財団、大学が積極的に給付型奨学金制度を整備していくことを提案している。政府が主体となって提供する奨学金制度や各家庭の負担だけに学費の捻出を頼ってきたことが、いまの奨学金問題のひとつの原因となっている、と考えているからだ。いまこそ社会全体でこれからの日本の未来を担おうとする若者を支えていく必要があるのではないだろうか。

 ここで扱った内容は、本書の一部に過ぎない。特に、これからの奨学金のあるべき姿については、本書の後半部分で非常に多種多様な提言がなされている。「奨学金」が世の中の関心事となったいま、まずは、社会で問題点を共有することが、奨学金制度改革への第一歩となるのではなかろうか。

文=ムラカミ ハヤト