親の介護で疲弊する前に……認知症や毒親でも力まず向き合うには?

暮らし

更新日:2020/9/1

『がんばりすぎずにしれっと認知症介護』(工藤広伸/新日本出版社)

「介護なんて楽ですよ。介護保険がありますから」この驚きの言葉は、介護を経験したことがないという役所の人の発言だ。実際に介護となると、保険ではまかなえない部分が出てくる。それは金銭的なものだけではない。精神面も、介護者自身の生活そのものも犠牲になることがある。特に認知症の介護ともなれば、なおさらだ。介護者本人がどこかで楽にかまえていなければ、自分自身が壊れてしまう。そう、真面目にやりすぎることはない。冒頭の発言は介護保険や介護の仕組みをよく知らない人物によるものだが、ある意味、そのぐらい深く考えない人の方がいいのかもしれない。そう、楽なものでいいのだ。

 そんな「気楽な介護」を肯定し、後押しをしてくれるのが『がんばりすぎずにしれっと認知症介護』(工藤広伸/新日本出版社)だ。かといって、放っておくというわけではない。著者である工藤広伸氏は、認知症の母を介護するために、東京から岩手まで20年も通っているという。その間、母親はひとり暮らしだ。人によっては「認知症の親をひとりにするなんて!」と思うかもしれない。だが、もちろん離れている時の見守りもする。母親の自宅にカメラを設置し、異変に気づける工夫は万全だ。そして、デイサービスなどケアプランを上手に組むことで、毎日誰かしらは訪ねてくるような工夫をしている。ひとりで抱え込んではいない。まさに「しれっと」介護を続けているのだ。本書では、がんばりすぎない介護の考え方がさまざまな場面で書かれている。

 介護に関する書籍はいろいろあるが、個人的に気になるのは「毒親」といわれている高齢者を介護する人たち。そのような親に対してどう向き合うべきかを考えた時、どんな書籍がよいのか? 実のところ、自身が「毒親」という存在を知ったのは配偶者の両親だった。愛情深い普通の家庭に育った者から見ると、非常に衝撃的で奇異な存在だ。配偶者の「毒両親」の陰湿な行動によって、自分の結婚生活と自分の実家家族を壊されかけた経験がある。現在は縁を断ち切っているが、その配偶者の「毒親」がぼちぼち介護を希望しているからたちが悪い。実際のところ、手足のように使いたいだけで介護は必要ないレベル。しかし、だ。いずれ何らかのアクションは起こさねばならない。それをどうすべきか。

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そんな時に目についたのが『がんばりすぎずにしれっと認知症介護』というわけだ。親だからということで、抱え込む必要はない。自分の人生まで壊す必要はもっとないのだ。しかし、世間には「毒親」の呪縛が解けず、介護で疲弊してしまう人も多いと聞く。確かに介護の場面では家族が関わらないといけない部分は出てくるのだが、手を抜ける部分もある。介護保険で不足してしまう部分は年金を充当すればいい。団塊世代ぐらいまでは年金支給額も悪い額ではないからだ。

 日本人は真面目すぎる。親の面倒を見ないといろいろなことを言う人もいるが、大切なのはまだ人生が残っている自分自身ではないか。だから、配偶者の「毒両親」がいよいよどうにもならなくなった時、私はしれっと施設に入れると決めている。そして、承諾が必要な時や、手続きの場面だけは行くつもりだ。つまり、身内でなければできない最低限のことしかしない。ただし、自分の両親は別だ。この違いは何か? 愛情を持って子供を育てた親と、子供を虐待して壊した親との違いである。だから、がんばることはない。返すような愛情はもらっていないのだから。

「毒親」は生涯変わることはないという。確かに、接してみると変わることはないようだ。「毒親」は自分が常識を外れていると思っていないのだから、変わりようはない。親の介護は、自分の仕事を辞めてまでする人もいるが、それは愛情深く育ててくれた親だけでいいと思う。介護は、人生を終えるまでの最後の親との時間であると考えればいい。その時間を自分はどうしたいかで判断すればいいのではないだろうか。そして、人と比べないことだ。著者の工藤氏もそう提案している。本書には、認知症介護で疲れた時のはけ口や、全国の相談先も掲載されている。認知症介護で疲れないために、本書を一読してほしいと思う。

文=いしい