「漫画の神様」が描いた作品から、「戦争」と「平和」を考える

社会

2018/8/20

『手塚マンガで憲法九条を読む』(手塚治虫:著、小森陽一:解説/子どもの未来社)

 8月になると、日本はある独特の雰囲気に包まれる。それは8月15日が「終戦の日」であるからだ。日本各地で追悼行事が行なわれ、内閣総理大臣も公式に式辞を述べて不戦の誓いを新たにする。とはいえ戦争体験者も高齢化によって数が減り、記憶の風化という課題も。さらに政権与党たる自由民主党の「憲法改正案」により、いわゆる「憲法九条」の改正が発議されようとしている。戦争を知らない世代はこの「戦争と平和」問題をいかに考えるべきなのか。それを分かりやすく伝えてくれるのが『手塚マンガで憲法九条を読む』(手塚治虫:著、小森陽一:解説/子どもの未来社)だ。

 手塚治虫先生といえば、誰もが知る「漫画の神様」である。先生は多くの作品を世に残したが、その中には「戦争」を描いた漫画も少なくない。子ども文化評論家の野上暁氏が巻末解説で「手塚治虫の少年時代は、ほとんどそのまま昭和の戦争の歴史と重なる」と述べているように、少年時代に味わった強烈な戦争体験が根底にあるがゆえに、先生の手は自ずと戦争を描いていたのだろう。そして本書に掲載されている作品からは、手塚先生が戦争に対しどのような考えを持っていたかがよく分かる。

 まず巻頭に登場するのは「紙の砦」という作品。本作はほとんど手塚先生の自伝といってよいほど、自身の体験がふんだんに盛り込まれた物語である。主人公の大寒鉄郎は、オペラ歌手を目指して宝塚音楽学校へ入った岡本京子と知り合う。しかし時は戦時下で、鉄郎や京子は軍需工場へ勤務動員されることに。鉄郎は上官の目を盗んでは漫画を描いていたが、見つかって手ひどい制裁を受ける。そしてやぐらの上で敵機の見張りをしていたとき、激しい空襲に見舞われるのだ。空襲の後、京子を捜していた鉄郎は、その美しい顔を火傷でただれさせた彼女と出会う。終戦を迎え、夢を絶たれた京子の行方は分からなくなるが、それでも鉄郎が一心に漫画を描くところで終劇となる。この作品からは、戦争に対する先生の嫌悪感がハッキリ伝わってくる。好きなことが自由にできないだけでなく、理不尽に夢が絶たれてしまう現実は、まさに悪夢であったろう。「この狂った状況を繰り返させぬために、真実を描き残さねば」と、先生は強く思ったはずだ。そして確かにこの作品は、戦争を知らない我々にもその愚を正しく教えてくれるのである。

 そして「1985への出発(たびだち)」という作品では、1985年の日本が描かれる。戦後、戦災孤児となったカズオとキミコ、テツの3人は苦労しながら生きていたが、ある日突然、1985年にタイムスリップしてしまう。未来の日本では戦争のゲームや兵器の玩具が巷にあふれ、強い憤りを覚えるカズオたち。玩具会社へ怒鳴り込みに行った彼らは社長と面会するのだが、そこにいたのは成長した彼ら自身だった。「戦争でひどい目にあったのに、なぜ戦争の玩具を作った」と非難するカズオに対し「大人になれば分かる」と未来のカズオは答えるが──。戦争の記憶が風化してゆき、それを知らない世代では戦争が「遊び」として消費されている。手塚先生の目には現在の日本がそう見えたのであり、この現状に警鐘を鳴らすために描かれた作品なのである。

 自民党の「憲法改正案」には当然、肯定派もいれば否定派もいる。その是非を判断する上でも、戦争や日本国憲法に対する正しい知識を持つことは重要だ。人の意見に追従するのではなく、自らの見解を持つ。それができなければ安倍総理がよく口にする「国民的な議論」が深まることなど、ありえないだろうと思えるのである。

文=木谷誠