あの巨匠もこんなに思い悩んでいた…! 作家たちが描いてきた「童貞」

エンタメ

2018/9/23

『吾輩は童貞(まだ)である―童貞について作家の語ること』(キノブックス)

どうてい【童貞】
経験していると主張する時期。(筒井康隆「現代語裏辞典」より)

 男性にとって「童貞」とは非常に大きなテーマである。近年ではメジャーなドラマや漫画などでも気軽に童貞が取り上げられるようになった。しかし、やはり童貞の真髄は男性にしか分からないのではないかと思う。

 童貞とは、暗く、重い歴史である。そして「経験をしたから消える」ような代物でもない。人によっては一生引きずることもあるだろう。『吾輩は童貞(まだ)である―童貞について作家の語ること』(キノブックス)は有名作家たちが残した童貞にまつわる作品を集めたアンソロジーだ。「あの巨匠も童貞についてこんなに思い悩んでいたのか!」と驚かされる内容になっている。そして、世間に蔓延する「かわいい童貞」のイメージだけに毒された女性たちは、本書から正しく童貞の複雑さを学んでほしい。かわいさとは、童貞という大きな概念の一部でしかないのだから。

 まずは童貞文学の金字塔、『童貞放浪記』(小野谷敦)だろう。30代にして童貞の大学講師、金井淳がストリップ小屋や風俗を回ってひたすら悶々とする物語である。やがて、淳は年下の女性と親しい関係になるが、スマートに行為へと持ち込めない。体と頭はとっくに大人だが、心だけは少年のまま。そんな淳は童貞の姿を切なく、哀しく体現している。だが、作者も含めて、男性は決して淳を嘲笑したり、見下したりできないだろう。淳のような部分を、男性なら誰でも心に飼いながら生きていくものだからだ。

 明治から昭和にかけての文豪たちが、童貞とどう向き合ってきたのかも興味深い。「さすが」と思えるような金言もあれば、「この人は本当に大作家なんですよね?」と面食らってしまうような文章もある。童貞とは、地位や名誉にかかわらず、男性にまとわりつく影なのだ。

所謂女を知らないせいか。自分は理想の女を崇拝する。その肉と心を崇拝する。
(武者小路実篤 「お目出たき人(抄)」より)

ときどき、ティーン・エイジャー雑誌の身の上相談欄に、「童貞を奪われて」などと題して、相手の女を魔女よばわりしているようなのがあるが、とんでもないまちがった話で、そういう女は実は菩薩なのです。
(三島由紀夫「童貞は一刻も早く捨てよ」より)

 それにしても、「理想主義的」と評される武者小路、年齢を重ねるごとに肉体賛美へと走った三島、それぞれの作家性が「童貞」というモチーフから浮かび上がってくるのが面白い。どんな文豪でも、童貞については確固たる持論を語らずにはいられないようだ。

 現代サブカルチャーを代表する作家たちも負けじと、それぞれの童貞エピソードを披露していく。平山夢明は童貞時代に「どんな女のオッパイでも自由に揉む方法」を教えてもらった話を告白。故・中島らもは小学校時代、「正しいセックスの方法」をクラス中で議論した思い出を語る。みうらじゅんは三鷹の「純の家」で体験した童貞喪失を振り返る。いずれも名人芸ともいうべき、ユーモアと哀愁が漂う。

 ここに登場する作家たちはみんな、時代も作風も異なった男性たちである。しかし、誰もが同じく童貞について考え、自身の童貞時代を強く思い返す。どんなに社会的成功を収め、女性の前で格好つけられるようになっても童貞はふとした瞬間に蘇ってくる。十人十色の「童貞文学」は、十人十色の生き様の証でもあるのだ。

お前が童貞を捨てても、童貞はお前を捨てたとは思ってないからな。
(バカリズムのオールナイトニッポンGOLD「エロリズム論」より)

文=石塚就一