ビートたけしが描く、冴えない作家志望の男と柴犬の話
公開日:2018/10/21

辛いとき、寂しいとき、そばに誰かがいてくれたら少し気が紛れる。それが最愛の人だったら心が和らぐ。安心感が芽生え、なんだかなんとかなりそうな気がしてくる。
冴えない作家志望の男・関口則之の場合は、愛犬のゴンちゃんがそうだった。
『ゴンちゃん、またね。』(ビートたけし/文藝春秋)は、則之とゴンちゃんのお話だ。この物語に、大作に見るような純愛ラブロマンスや炸裂する超アクションはない。けれども、互いに寄り添って生きるひとりと1匹の心温まる絆が描かれていた。
■冴えない男・関口則之の日常
則之は、作家志望の冴えない青年だ。大学を卒業してしばらくは、両親に甘えながら実家で小説を書いていた。しかし両親を肺ガンで亡くして以降、現実を突きつけられた則之はアルバイトを始めた。月刊誌のテープ起こしだ。
則之はその月刊誌の編集者と一緒に「私が決断した時」という記事を作っている。作家として創作活動をしなくちゃいけないのに、現実は、生活のためうさんくさいインタビューをまとめて小銭を稼ぐ日々。
隣に最愛の人がいれば違ったろうが、元カノの直子は「好きな服や宝石がほしい」「もっと美味しいものを食べさせて」と愚痴ばかり吐いて半年も続かず別れてしまった。
人生の先行きは見えず、家族や最愛の人はいない。普通なら不安と孤独に押し潰されるだろう。しかし、則之には愛犬がいた。ゴンちゃんだ。
■ゴンちゃんとの何気ない、愛おしい日々
仕事を通じて知り合った日本犬保存会の役員から、その場にいた一番人気のなさそうな柴犬の子犬を格安で譲ってもらった。それがゴンちゃんとの出会いだった。

ゴンちゃんとの日常はとても平凡なものだ。毎日決まった時間に近くの公園へ散歩に出かける。その帰りに商店街で焼き鳥を買って、2人で美味しく頬張りながら帰ってくる。
ゴンちゃんはまだまだ若いので、ボールやぬいぐるみで一緒に遊んでくれとせがむ。ボールを投げたら尻尾を振って喜ぶし、ぬいぐるみはあっという間にズタズタだ。
この何気ない日常が、則之は愛おしかった。テープ起こしの最中に気がつけば膝の上で寝ていること、構ってほしくてクンクン鳴くこと、風呂場で足を洗うのが嫌で足を痛めたフリをして歩くこと。
犬を飼っている人ならきっと分かる。愛犬と積み上げる些細な時間が、かけがえのない思い出になる。ふとしたときに見せる飼い主への愛情に、愛犬を抱きしめて離せなくなる。
いつものように散歩から帰ってきたとき、則之は風呂場でゴンちゃんにこうつぶやいた。
「俺はお前と散歩がしたくて生きてんのかなあ、ゴンちゃんお前どう思う?」
冴えない日々を生きる則之が、ゴンちゃんと過ごす時間にどれだけ救われているか。この言葉に胸がぎゅっと締めつけられる。
しかし別れは突然やってきた。いつものように商店街を訪れ、晩飯や焼き鳥を買うためゴンちゃんを電柱につないだ則之。買い物を済ませてゴンちゃんのいる電柱に戻ると……愛犬の姿はどこにもなかった。
則之は、悲痛な想いでゴンちゃんを探し始める。
■ビートたけしが描く現代社会の風刺
本作は、世界に誇る鬼才・ビートたけしがつむぐ冴えない男と柴犬の物語だ。物語の途中に登場する17点の挿絵が、切なくも心温まるストーリーをより際立たせる。

則之とゴンちゃんの結末も気になるところだが、この作品の中に込められる現代社会に対する風刺も見逃せない。
テレビや雑誌で見かけるうさんくさそうな人が成功する世の中ってなんだろう。一向に減らないペットの虐待や殺処分、いじめを繰り返す子どもたちを放置する今の教育、生きづらい社会で孤独になってしまった人たち。
本作を読み進めると、社会に対する様々な疑問がわいてくる。たけし節全開のユーモアを織り交ぜ、とつとつとした語り口でしっとりと読ませるこの作品は、現代人が読むべき寓話だ。
もしご家庭で愛犬を飼っているならば、ぜひこの記事を読んだ後、抱きしめてやってほしい。この物語で描かれるひとりと1匹の関係は、現実にはないかもしれない。けれども、たとえ一瞬でも一緒に過ごした時間があるならば、そこには確実に絆がある。
飼い主と愛犬のかけがえのない時間を大切にしてほしい。
文=いのうえゆきひろ