とことん「エロ」を追い求めたAV監督たち――『裸のアンダーグラウンド』

エンタメ

2018/12/2

『裸のアンダーグラウンド』(東良美季/三交社)

 2014年、東京で限定公開されたカンパニー松尾監督『劇場版テレクラキャノンボール2013』はいまだに全国を巡回しており、イベントムービーの定番となっている。ソフト版から大幅に編集されているとはいえ、AVが一般層にも大ヒットしたのだ。また、映画ファンや批評家から絶賛された平野勝之監督『監督失格』(2011年)も本編の多くにAVの素材が使われている。

 ただし、こうしたAV作品が大衆に受け入れられる時代が訪れたのは、AV業界そのものが変容してしまった事実を証明している。アンダーグラウンドの視点から人間の本性や欲望を記録していたAVは過去の遺産となった。だからこそ、90年代から活躍する松尾氏や平野氏のAV作品が、現代の若者たちに「異質なもの」として興味を持たれているのだろう。しかし、彼らをはじめとするAV監督たちも、全盛期には今浴びているスポットライトから程遠い場所にいた。『裸のアンダーグラウンド』(三交社)は、AV監督たちの反体制的で滑稽で、誰よりも熱い青春時代を収めたインタビュー集である。

 著者の東良美季氏は、「ビデオ・ザ・ワールド」(2013年休刊)などでAV批評を行ってきたライターだ。彼の著書『アダルトビデオジェネレーション』(1999年)はAVファンのみならず、数々のクリエイターに影響を与えてきた。そして、『アダルトビデオジェネレーション』の中から監督インタビューだけをピックアップし、再編集したのが本書である。

 本書に収められているインタビューの大半は1993~1999年の間に行われている。「AV」といえばもちろんVHSが主流で、1000本売れれば大ヒットの時代だ。ちなみに、当時のセルAV(レンタルショップにない販売のみのAV)は単価が1万5000円。Webで数百円の動画がダウンロードできる現代とは隔世の感がある。AVが黎明期から隆盛期にさしかかっていた90年代、中心にいた監督たちは刺激的な人物ばかりだ。

 とにかく驚かされるのは、監督ごとに異なる「エロ」へのこだわりである。若かりしカンパニー松尾はスタジオ撮影によって作られるAVを「ウソ」と否定し、女優の素を引き出す「ハメ撮り」を確立した。シンプルSANOは女優を使うことすら嫌い、路上から素人女性をナンパしてAVに出演してもらうまでの過程を作品にした。一方、中野貴雄は女優の本音になど興味がないと言い切り、女スパイやガンマンを演じさせるストーリーAVで人気を得ていく。

 そして、エロを追求する監督たちの姿勢は、余裕で21世紀のコンプライアンスなど飛び越えていく。浮浪者たちと女優をプレイさせたり、複数の男女を数日間閉じ込めて欲望のまま生活させたり―。極めつきは、バクシーシ山下の監督作品だ。山下は異常な性癖のある男優を好んで起用した。地獄のような惨状が繰り広げられる彼のAVは、フェミニストや良識人から「女性差別的」と徹底的に攻撃される。しかし、山下はAVを通して社会から無視されていたマイノリティを見せつけ、逆に日本人の抱く差別心を看破した監督でもあった。そんな山下の居場所はテレビや映画にはなかっただろう。彼らのような、スタイルもキャラクターも違うAV監督たちに共通している点はひとつ、「あくなき表現欲求」のみである。

 黒澤明の映画に出演したほどの俳優ながら、「仕事として」女優を罵倒し続けた清水大敬。豊富な女性経験を武器に女優からの信頼を得ていた松本和彦。本書に登場するAV監督たちは誰もがユニークで魅力的な人物である。もちろん、彼らの中には倫理や法律を犯してしまった者もいる。だが、普通の社会では生きていけないアウトサイダーたちの受け皿として、AV業界が機能していた時代はあった。AV全盛期が彼らのパワーによって支えられてきたことが、本書からはしみじみと伝わる。そう、プロローグに出てくる花房観音の言葉を借りれば、本書ははみだし者にとっての青春小説なのだ。

文=石塚就一