女たちが脱いだ時代! 宮沢りえ『Santa Fe』、菅野美穂『NUDITY』…「はだかはわたしを強くさせる」最近のヌード写真集事情

エンタメ

2018/12/29

 平成も残り数カ月。SNSの普及により、あらゆるものの価値観が変化していったように思えるが、その影響は、なんとヘアヌード写真集にまで及んでいた。

 そもそも、日本で女性のヘアヌード写真集が事実上の解禁となったのは、平成3年(1991年)のこと。きっかけを作ったのは、155万部という世界記録を打ち出した写真集『Santa Fe(サンタフェ)』(朝日出版社)で伝説とも言えるヌードを披露した宮沢りえ…ではない。ソフトバンクのCM“白戸家のお母さん”でおなじみ、女優の樋口可南子だ。

 当時33歳の売れっ子女優だった樋口可南子は、篠山紀信氏が撮影した写真集『water fruit』(朝日出版社)でヘアヌードを披露。売上部数50万部を越えるベストセラーになった。

 宮沢りえの『Santa Fe』が発売されるのは、この数カ月後のことだった。当時人気絶頂の美少女アイドル・宮沢りえがヌードになったという前代未聞の事件は、日本中に大きな衝撃と動揺を与えた。出版元の朝日出版社には問い合わせの電話が1分間に1000回殺到、NHKのニュースでも取り上げられるなど、伝説的なエピソードは少なくない。

 この勢いに続けとばかりに、「宮沢りえ」後、多くの女優たちがヘアヌード写真集を出版してきた。

 平成7年(1995年)に発売された『one,two,three』では、高岡早紀が美しい肢体を惜しげなく披露している。また、平成9年(1997年)には、号泣記者会見が話題となった菅野美穂の『NUDITY』が発売された。ブームのピークは平成6年(1994年)で、ヌード写真集が年間200冊以上刊行されたというから驚くばかりだ。

 そして時は経ち、2017年4月、玄光社からヌードモデルの兎丸愛美の初となる写真集『きっとぜんぶ大丈夫になる』が発売された。おもしろいのはこの兎丸愛美というヌードモデル。元々モデルだったわけでもなんでもない。ごく普通の大学生だったのだ。そんな彼女がヌードモデルとして活躍するようになったきっかけこそが、SNSなのだ。

 TwitterやInstagram、TumblrなどのSNSに、ヌードを含めた自身の写真を投稿していくうちに反響が広がり、多くの撮影依頼が舞い込むようになった…という、ちょっと予想の斜め上をいくはじまり方。そもそもSNSに裸体を載せていいのか? という疑問が生じるが、これに関しては各運営会社に基づいた規約があり、彼女はそれに準じた写真をアップしていたようだ。

 なぜ大学生だった彼女が、SNSに自分のヌードを投稿するという行動に出たのか。巻末に収録されているショートエッセイにその理由が書かれている。

「20歳になるまえに、大人になるまえに遺影を撮らなくちゃいけないと思ってしまって、わたしはとにかく死にたかったのである。遺影はぜったいにはだかじゃなくちゃだめ」(本書より抜粋)

 遺影のつもりで撮ったはだかの写真が、彼女のヌードモデルのはじまりだったのだ。SNSに公開するとたちまち話題になり、彼女を普通の大学生からヌードモデルへと変えた。

 ページをめくると、公園や駅、寝室やバスルームなど、日常的なシーンでの写真が続いた後、突如フルヌードの兎丸愛美が現れる。田舎道の真ん中で佇む姿は、ヌードではなく“全裸”という表現がぴったりだ。自分のすべてをさらけだしているように見える。

 駅で愛しい誰かに迎えられながら人懐っこい笑顔でかけよってくる兎丸愛美。屈託のない笑顔は、読者に自分が彼女の恋人になったような錯覚を抱かせる。あるいは涙のショット。すぐそこにふれられそうなほど生々しく臨場感のある泣き顔。

 SNSに自分のはだかを載せる――もしかすると、出発点は若い女性特有の自傷的行為だったかもしれない。しかし、遺影を撮るつもりではだかになった兎丸愛美の写真集は、伸び伸びとした裸体、嘘のない表情、5年間にわたりヌードモデルとして活動してきた兎丸愛美の生き様がふんだんに詰まっている。

「『きっとぜんぶ大丈夫になる』はだめだったときのあの頃のじぶんと重ねてみてほしいです」(“kinakoiro.tumblr.com”より引用)

――兎丸愛美は自身の写真集に対してそう語っている。

 平成3年のヘアヌード写真集解禁から27年経った今、SNSで一般人がヘアヌードを投稿し写真集が出せるまでに進化した。…するとこのあとは? ちょっと予想もつかない。

文=坂本七海(清談社)