「交通」と「あいだ」がキーワード! 女子大生と哲学者が解き明かす身近な問題・哲学的な問題とは?

暮らし

公開日:2019/1/30

あいだ哲学者は語る―どんな問いにも交通論―

著:
出版社:
晃洋書房
発売日:
『あいだ哲学者は語る―どんな問いにも交通論―』(篠原資明/晃洋書房)

 2018年12月、JR山手線の輪の中、田町と品川の間にできる駅名が「高輪ゲートウェイ」に決まった。2020年の東京オリンピック・パラリンピックにあわせて暫定開業し、将来的には国際交流拠点を形成する狙いがあるというが、何かと何かの間に物事が生じるというのは一体どういうことなのか。『あいだ哲学者は語る―どんな問いにも交通論―』(篠原資明/晃洋書房)は、哲学者である著者と架空の女子大生との対話というわかりやすい形で、「交通」という概念をより広く、衣食住・歴史・芸術・死生観まで適用して考えを巡らす。

 交通を表す一般的な英単語はtrafficだが、communicationも交通を意味することがあるという。たしかに、筆者が住む福岡に走っているJR九州ではcommuter trainという表示がされている車両がある。著者はこのように「交通」の意味を広くとらえており、例えば服もその一環としてとらえている。コンビニに行くような服装で友達とディナーに行くという「脱線」は笑いと化す。そして、服を着脱するという流れが自分の中から消えることは、死という「停滞」へ向かっていることに等しい。

着たきりで脱ぐことができなくなること、あるいは脱いだままで着ることができなくなること、それは、死とひと続きのことなんだ。

 風景が衣服を着脱できなくなり「停止」することもある。町の風景はあらゆる「交通」が組み合わさって生まれている。特に日本では四季が移ろい、風景に日々大きな変化がある。そして、それを見る自分もひたすら変化を続けている。東京・関東地方を中心に、富士見坂と呼ばれる坂が何十もある。互いに変化を続けるもの同士の関係を「異交通」と著者は呼んでいるが、都内から遠く離れた富士山が見えるというのは、まさに「変わり続ける自分」を確認できる異交通の最たる例だ。

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 東京都内の富士見坂で今もはっきりと富士山の姿が確認できるのは世田谷区岡本にある富士見坂だけだ。最も代表的な富士見坂の一つだった日暮里富士見坂は、皮肉にも富士山が世界遺産に登録された年にマンション建設の進行によって見えなくなり、今ではかつての富士見坂の面影は感じられなくなった。風景を見ているのが自分というよりも、風景と自分の「あいだ」に自分を支える思いが存在しているのだ。

新しみつつ振りかえるというのでは、ダメなの? そのつどそのつどの現代から振りかえるたびに過去もおもむきを変えるわけでしょ。それって、いまかつて間の異交通といえるんじゃない?

 架空の女子大生のこうした疑問に対して、著者は考えの重心を「振りかえりつつ、新しむ」という置き方にすべきだと提唱している。莫大な量のデータが存在し、カメラでは容易に連写でき、ひとつひとつの「交通」の持つ意味合いは希薄になりがちだ。何の時に撮った、何の写真なのか。昨年自分何をして、これから何をするのか。2019年のスタートに、世の中や自分の中の流れを「交通」というキーワードで整理して、物事の「あいだ」に目を向けてみてはいかがだろうか。

文=神保慶政

この記事で紹介した書籍ほか

あいだ哲学者は語る―どんな問いにも交通論―

著:
出版社:
晃洋書房
発売日:
ISBN:
9784771031135