不倫相手とダイナマイト心中した母…家族の自殺をおおっぴらに語れない理由とは?

社会

2019/1/29

『自殺会議』(末井 昭/朝日出版社)

 人が亡くなったとき、残された家族に死因をあれこれ聞くのは失礼なことだ。病気や事故のときでさえ遠慮があるのだから、自殺だったらなおのこと。

 だが、しかしである。ここには無自覚の“お約束”が横たわっている。それは、「自殺だったらなおのこと」、つまり「どうして自殺は、世間にあけっぴろげに語れないのか」ということだ。常識的なところで答えを引っ張り出すなら、自殺はするべきでないとされているので、それを破ってまで断行した苦しみのそばには簡単に近寄ってはいけない、というところだろうか。

 しかし、結論から先に言ってしまえば、自殺に触れてはいけないという遠慮は、まったく良いものではないようだ。むしろ、自殺を隠さず堂々と話せる世の中こそが、生きやすい社会なのだ!

 このように気づかせてくれるのが、『自殺会議』(末井 昭/朝日出版社)だ。親や子どもが自殺をした人や、自殺の名所で防止活動に取り組む人などから、心の内を聞き出したインタビュー集となっている。念のために言っておくと、本書は、自殺を肯定しているのではなく、自殺しなくてもいい社会を願って書かれているので安心して欲しい。

■誰にも言えない「家族の自殺」という重み

 著者の末井昭さんは、編集者を経て現在はフリーで執筆活動を行っている。小学生のときにお母さんが不倫相手とダイナマイト心中をしたという。心中の次第は自身の原作で昨年2018年に映画にもなっていて(『素敵なダイナマイトスキャンダル』冨永昌敬:監督・脚本)、今は自殺を隠すことはない。

 しかしかつては、母親のことを誰にも言えずに、自分は世間の多数の人たちとは違うんだという暗い意識に翻弄されていたそうだ。以下は本文からの引用だ。

高校を卒業して社会に出てからも、母親の話は人に言えませんでした。言うと場がシーンとなるかもしれないし、自分が特別視されて仲間外れにされるかもしれないし、同情されたり哀れみの目で見られたりするかもしれない、といった不安や恐怖があったからです

■残された家族の抱える罪悪感をやわらげるには?

 また、残された側なのに、まるで自分の罪を隠しているような後ろめたい気持ちを持っている例もある。インタビュー相手のひとり、岡映里さんは、次のようにもらしている。

なんか、よく言われる「自殺しちゃいけない」みたいな言葉に触れたときに、やっぱりいけないことをした人なんだっていうことを、思わないでもないみたいな感じがあったんです

 残された人は、吐き出せない気持ちを抱えたまま、何ともないような顔をして生き続けなくてはならない。インタビューからは、語りつくせない重さが伝わってくる。

 著者・末井さんの場合、この重さを和らげるきっかけとなったのは、ゲージツ家のクマさんこと篠原勝之さんと以下のような会話をしたことだという。

飲んでいた時に母親の話をしたら、「末井のおっかさん、スゲーぞ」と、まわりにいる人にも言ってくれて大ウケしました。母親の話をしてウケることを、その時初めて知りました。同情するのでもなく、特別視するのでもなく、純粋に受け止めてくれて、素直に面白がってくれる人がいたのです。そのとき心の便秘が治ったような爽快感がありました。(中略)人に言えないことが言えるようになると、自分が解放されたような気持ちになります

 苦しいことを表に出して解放できる。せめて、重いときには重いと言える。そんな社会の方が生きやすい。何か困ったことがあったときに、それを自分だけでこっそり解決しなきゃいけない、という環境は息苦しくてたまらない。著者は、自殺した者への柔らかい共感と、読者へのメッセージをこう残す。

自殺してはいけない普遍的な理由は、おそらくないのだと思います。あるのは、「あなたに死んで欲しくない!」という思いだけです

 今死のうとしている人が、「やっぱ今日はやめとこ」と思ってくれるといいなと思う。

文=奥みんす