同級生からの暴行いじめ、毒親、レイプ未遂……。USEN1位を獲得したアーティストはどうやって「生きるつらさ」を乗り越えたのか?

エンタメ

2019/2/6

『生きるのが苦しいなら 仏像と生きた3285日』(SALLiA著/キラジェンヌ刊)

 生きるのがつらい、苦しい、怖い……。そんな想いに囚われたことがある人は少なくないだろう。ここ数年、webメディアでは「生きづらさ」に着目した記事をよく見かけるようになった。それはそのまま、その答えを欲する人たちが大勢いることの証左とも言える。

 しかし、生きづらさをどのように緩和すればいいのか、克服すればいいのか。その正確な答えは、どこにも眠っていない。自らの手で見つけなければならない。だからこそ人は、生きづらさを抱えながら生きる人たちのインタビューを読み、それをロールモデルとして、自らの人生の指針にするのではないか。

 こんな時代において、新しいロールモデルとなるような人物の著書がある。『生きるのが苦しいなら 仏像と生きた3285日』(SALLiA著/キラジェンヌ刊)。これは歌手、そして“仏像オタクニスト”として活動しているSALLiAさんによる、自伝的エッセイ。そこに綴られていたのは、ひとりの女性の痛々しい叫びと、祈りにも似た歩みだ。

 SALLiAさんは本名である“畑田紗李(ハタダサリー)”名義で、2011年に歌手デビューを果たした。精力的にライブ活動をする一方で、リリースした楽曲はテレビ番組や映画の主題歌にも起用。2016年リリースの「イデア」はUSEN週間インディーズランキングで1位を獲得するなど、着実にアーティストとしての存在感を強めていった。傍目には順風満帆に活動してきたように映るSALLiAさん。しかし、本書で彼女のバックボーンを知ったとき、文字通り言葉が出なかった。

 幼い頃のSALLiAさんはいじめられっ子だったという。同級生から殴る蹴るの暴行を受け、けれどもそれを告発することもなく、ただひたすらに耐える毎日。そんな彼女が自分自身と重ねていたのが、宮沢賢治の短編小説『よだかの星』に登場する“よだか”だった。醜く生まれてきたせいで周囲から理不尽な迫害を受け、生きることに絶望していった“よだか”。それと自身を重ねる。このくだりだけでも、当時のSALLiAさんがどのような心境だったのかがうかがい知れるだろう。

 そして、彼女を苦しめていたのはいじめだけではない。“毒親”とも言える母親の存在、自分を見捨てた父親の暴挙、彼氏からのレイプ未遂……。「壮絶だ」と評することが浅はかであると感じられるほど、彼女の半生はつらく苦しいものだった。

 しかしながら、SALLiAさんは決して生きることを諦めなかった。それはなぜか。心の拠り所を見つけたからだ。彼女にとってのそれは、“仏像”。

 楽曲を作り込み、歌って踊って表現し、USEN1位を獲得するまでになったアーティストが、どうして仏像オタクニストを自称しているのか。読者の疑問はここで解消される。

 本書ではSALLiAさんの仏像への想いが丁寧に綴られている。けれどそれは宗教じみた意味合いではない。一体一体の仏像に込められた意味、その背景に触れるにつれ、彼女は生きることの本質的な意味を取り戻していく。それは誰に教えられるわけでもなく、彼女自身が見つけ気づいた答え。SALLiAさんはこう綴る。

 “苦しみは幸せの裏にあり、幸せもまた苦しみの裏にある。数々の苦しみは、この幸せに辿り着くためにあった。どれか一つが欠けてもいけなかったのだろうし、その全てがオセロの黒を白にひっくり返すために必要なものだった。”

 生きるのがつらいとき、苦しいとき、怖いとき。人は過去をなかったことにしようとする。「こんな風に生まれてきたくなかった」「人生をやり直したい」。けれど、未来は過去と地続き。昨日をリセットして、希望に満ちた明日を手に入れることなんてできない。だからこそSALLiAさんは、それまでの人生をなかったことにしようとはしない。数々の苦しみを受け入れ、オセロをひっくり返すように、輝かしい未来を手にしているのだ。

 彼女が仏像と出会い、人生を好転させることができたように、人の生き方や捉え方というものは意外なきっかけで変わるのかもしれない。そう考えると、つらい現実から目を背け、俯くよりも、目線を下げることなく周囲の風景に目を運ぶことが大切なのではないだろうか。その景色のなかに、思わぬ出会いが隠れているかもしれないのだから。本書を通じて、SALLiAさんはそんなことを教えてくれた。

文=五十嵐 大