『樹木希林 120の遺言』別居婚のまま40年以上、夫・内田裕也への深い愛情「愛というより、私には内田さんが必要だった」

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公開日:2019/2/8

樹木希林 120の遺言 ~死ぬときぐらい好きにさせてよ』(樹木希林/宝島社)

 2018年9月に75歳で亡くなった女優・樹木希林。常識に縛られず、何にも媚びず、あるがままで生きた彼女は、間違いなく誰よりも“ロッケンロール”な女性だった。亡くなってから何カ月も時が経っているというのに、まだ何処かで彼女が生きているような錯覚を覚えるのは何故だろう。もう一度、あの、あっけらかんとした物言いを聞きたい。思いもよらない発言にハッとさせられたい。そんな願望をどうしても抑えることができない。

 どうやら樹木希林の言葉を求めているのは、私だけではないらしい。宝島社編の名言集『樹木希林 120の遺言 ~死ぬときぐらい好きにさせてよ』(宝島社)の売り上げが好調だという。1月28日に発売され、同日に重版が決定。すでに累計発行部数は15万部にも及んでいる。この本では、あらゆるテレビ番組、新聞、雑誌、フリーペーパーなどから、樹木による120のことばを掲載。どの言葉も樹木の人間的な魅力が溢れ出ている唯一無二のものばかりだ。

「楽しむのではなくて、面白がることよ。楽しむというのは客観的でしょう。中に入って面白がるの。面白がらなきゃ、やってけないもの、この世の中。」(2017年5月)p.50

「年を取るって、絶対に面白いことなの。若い時には「当たり前」だったことができなくなる。それが不幸だとは思わない。そのことを面白がっているんですよ。」(2014年10月)p.94

「人間はあした地球が滅ぶとわかっていても、きょうリンゴの木を植えなきゃいけないものなのよ。そういうふうに考えて生きていきましょうよ。」(2012年4月)p.62

 樹木希林の発言に触れていると、いかに樹木が自分の人生を面白がりながら生きていたかがわかる。老いることはもちろんのこと、ガンという病でさえ、彼女は面白がっていた。どんな困難をも彼女は自身の「栄養」にする。ミスをしたって、うまくいかなくったって、愚痴は言わない。むしろ、そのつまずきをどう活かし、どうやって進んでいくのかを考え続けていた。

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 夫・内田裕也についての発言も、胸打たれる。別居婚のまま40年以上、夫婦でい続けた樹木希林と内田裕也。夫について触れた言葉からは、深い愛情と強い絆が感じられる。

「愛というより、私には内田さんが必要だったということですね。ただ向うは迷惑だっただろうなというのはよく分かる。今は「どうもありがとうね。大変だったわね」と言うと、「そんなことネェ!」と言いますがね(笑)。来世で出会わないために、今完璧に付き合っているのよ(笑)。」(2014年5月)P.173

「籍を入れた以上、引き受けていくしかない。夫の中には今も、純粋なもののひとかけらがみえるから。」(2011年5月)P.170

 あなたもこの本で、もう一度、樹木希林の言葉に触れてみてはどうだろうか。だが、かつて、樹木希林は、自身の言葉に感銘を受ける人がいることに対し、こんな発言をしたという。

「え、私の話で救われる人がいるって?それは依存症というものよ、あなた、自分で考えてよ。」(2017年5月)p.58

 救いにはせず、ヒントとするくらいならば、樹木からお許しはもらえるだろうか。自然体で生き抜いた彼女の言葉はあなたにとっても参考になるはず。思いも寄らないことにつまずいた時、「壁」を乗り越えようとする時、彼女の言葉は状況を打開する手助けになりそう。樹木希林の言葉は、これからも、私たちの胸のうちで生き続けるに違いない。

文=アサトーミナミ