備えあっても憂いあり!? 壮絶な北極探検には壮大な準備が必要、その舞台裏を覗く

社会

2019/4/14

『極夜行前』(角幡唯介/文藝春秋)

 書店員がいま売りたい本を表彰する「本屋大賞」。そのノンフィクション部門といえるノンフィクション本大賞を受賞した『極夜行』のビハインド・ザ・シーン(舞台裏)を描いた、『極夜行前』(角幡唯介/文藝春秋)が、本編出版から1年後の2019年2月に発売となった。

 前著『極夜行』は、北極圏で太陽が昇らない約4カ月間の「極夜」の中、現代的技術に頼らずにひたすら氷上の暗闇を行く冒険譚だった。【前作のレビュー全文はこちら】

 そして新作となる本書は、映画DVDの特典としてついている「おまけ」のような感じは皆無で、本編に引けを取らない壮大な物語だ。

 著者は「旅」の意義を徹底的に考え抜き、例えば、現在地がすぐに分かってしまうツールであるGPSは使わない。普通であれば北極圏の暗闇を旅する上で、身の安全を第一に考えるならば、GPSの使用は必須だろう。しかし、著者は「真の旅」の追求のためにそれを拒否するのだ。

“現在地が分からなければ明日以降の計画もへったくれもないわけで、空間移動的行為においては、現在地の把握こそ行動全体の骨格をささえる要の位置をしめるのである。”

「自分の現在地を知る」ということは、少し抽象的なレベルで考えると「人生の現在地」を考えることにもつながる。「一寸先は闇」という言葉が示す通り、自分の人生でもいつ何が起こるかわからないし、そうした中でも人は現在地をアップデートしながら生きなければいけない。

 極度にパーソナライズが進んだ現代社会では、確固たる「自分」と親指の先にあるスマホなどのディスプレイの中が世界の全てだと思ってしまいがちだ。本書では、動物、自然、そして旅のために準備した食料にいたるまで著者の感覚は拡張していき、刻々と変化していくその様子が生き生きと描かれている。現代社会で抜け落ちているのは、こうした他の存在や事物に自分が乗り移って「変わっていく」感覚なのだと、書中の随所に織り交ぜられた自問自答から、読者は気付かされるだろう。

 本書で描かれる旅は離れ業で「誰もマネできない」からこそ価値がある。しかし、著者は庶民感覚を物語の中に含め、読者の人生と北極探検が地続きであることを示してくれる。

 例えば海象(セイウチ)に襲われかけながら海岸線沿いを旅している時、停めておいたカヤックが沖に流されかけてしまう。極寒の海を著者が泳いでいる最中、ある「庶民的重大事実」が発覚した瞬間はこのように描かれている。

“顔を上げてカヤックの位置を確認したが、まだ二十メートル以上離れていた。おそろしく遠い。皮膚の感覚は完全に失われ、着実に足の芯のほうまで冷水の影響が及んでいくのを実感しながら、私は社会の窓を閉め忘れたことを確信した。”

 普段から「閉め忘れ」が多いという著者が、この後実際どうしたかは書中でご確認いただきたい。都会での習慣が僻地でもそのまま継続されることがあるという、瀕死ながらもコミカルなエピソードだ。

 未知の世界を知ることができるだけでなく、北極圏を旅する準備の様子から、物事が生み出されるプロセスの重要さにも気づくことができる本書。これは本編『極夜行』に匹敵するほどの「壮絶な舞台裏」を読者に明かしてくれる。

文=神保慶政