「人殺しの息子」。事件と無関係の家族まで罪を背負い続ける必要はあるのか?――被害者と加害者の両面から考えさせられる社会派サスペンス!

文芸・カルチャー

2019/4/26

『夏の陰』(岩井圭也/KADOKAWA)

「(我が子が)このような不祥事を起こして大変申し訳ない」……事件が起きたとき、罪を犯した本人ではなくその親が社会に向けて謝罪する姿を見ることがある。もちろん自責の念から謝罪しているのだが、時には頭の中が整理できないまま、押し寄せるマスコミと社会からの圧力に怯え、ひたすら頭をさげているように見えることもある。罪を犯したのはあくまでも本人だ。未成年の場合はある程度仕方ないとしても、家族の責任はどこまで問われるのだろう。

 昨年、「野性時代フロンティア文学賞」を受賞した『永遠についての証明』で本好きから高い評価を得た期待の新人作家・岩井圭也さん。彼の最新作『夏の陰』(KADOKAWA)は、犯罪が家族に与える苦しみについて、被害者と加害者の両面から考えさせられる社会派サスペンスだ。たとえば「殺人」という重い罪によって人生を狂わされた家族はどうなるのか。さらに子どもたちは、その長い人生でずっと親の罪を背負い続けなければならないのだろうか?

 亀岡で運送会社のドライバーとして黙々と働く倉内岳は、過去を知られることを避け、世間から隠れるように日々を過ごしていた。岳の父親は殺人犯だった。15年前、DVから逃れて母と暮らしていた岳を人質にして、父は立てこもり事件を起こした。事件のさなかに機動隊のひとりを拳銃で射殺し、自殺したのだった。「人殺しの息子」と嫌がらせを受け続け、たったひとりの肉親である母とも縁を切り、孤独に生きることを選んだ岳。その岳を支えたのは、事件後に知り合い、恩人ともいえる関係になった柴田に勧められて始めた「剣道」だった。

 ある日、五段昇段審査のために剣道形の講習会に参加した岳は、思いもよらない人物・辰野和馬に出会う。和馬は犠牲となった機動隊員の一人息子であり、父と同じ京都府警の警官として剣道の腕を磨いていた。岳はその場を逃げるように去るが、岳の存在に気がついた和馬は「人殺しの息子に父が愛した剣道をやる資格などない」と憎悪を募らせる。

 運命に導かれるように、全日本剣道選手権の京都予選決勝戦で激突することになる2人。「死」を抱えて生きてきた者たちは宿命の戦いに挑む――。

 岳が「人殺しの息子」と世間から後ろ指を差されることは不可避かもしれないが、一方では彼も激しいDVの被害者。そうした背景は理解されず、行き場を失い人生を諦めるほどに追い込まれる必要は本当にあるのだろうか。もちろん父を殺された和馬が、岳を逆恨みし続けるのは仕方のない面もあるだろう。実は和馬自身も「父は無駄死にした」と誹謗中傷を受け、「父が殺された息子」として笑顔でいることを否定され、心の奥で苦しみ続けてきた。不幸は深い亀裂を人生に残し続ける。2人はそれぞれ「普通に生きてはいけない運命だ」と自分を追い込み、自分の心に蓋をしながら生きてきた。それは自らそう思ってきたからでもあるが、世間の圧力の前にそうせざるを得なかった面もあるだろう。

 常に気持ちを押し殺してきた岳と和馬にとって「剣道で強くなること」だけが、自分の居場所を確保するための手段だったのは悲しい偶然だ。心ある人々に助けられ、少しずつ「自分の人生を生きる」ことに向き合う2人。その姿には青春小説の醍醐味があり、ラストの死闘の剣道小説としての迫力には手に汗握る。

「罪を憎んで人を憎まず」とはいうが、事件とは本来関係のない家族にも無自覚に罰を与えている社会に、この物語が投げかける問いは大きい。人を「赦す」ことの重みを、彼らの汗と涙が教えてくれる。

文=荒井理恵