教科書には書けない! 伊藤博文の本妻は愛人に何を語った? 歴代総理の「女」たち

社会

2019/7/6

『総理の女』(福田和也/新潮社)

「歴史の陰に女あり」といわれるように、歴史を振り返ると初代ローマ皇帝アウグストゥスと妻のリウィア、ナポレオンと妻ジョゼフィーヌ、源頼朝と北条政子、豊臣秀吉とねねなど、歴史に名を残した男たちの陰で、その配偶者たちが果たした役割は小さくない。それは、近代以降の日本の歴代総理においても同じである。

 そういった視点で、日本の総理大臣と妻、および愛人たちとの関係をつまびらかにすることで、明治維新から昭和の敗戦までの日本近現代史の“裏面”を解き明かすのが、『総理の女』(福田和也/新潮社)だ。文芸評論家として活躍する著者は、『教養としての歴史 日本の近代』『二十世紀論』など、歴史や社会政治に関する著作も多く、『〈新版〉総理の値打ち』では、初代の伊藤博文から安倍晋三までの歴代首相62人を大胆に“採点”している。

■総理・伊藤博文の妻が語った“気概”とは?

 本書で扱われている総理は、伊藤博文、大隈重信、山本権兵衛、桂太郎、山縣有朋、原敬、高橋是清、犬養毅、近衛文麿、東條英機の全部で10人。すべて戦前の総理だ。彼らが現代の政治家と大きく違う点は、ほとんどの総理に公然の愛人や妾(めかけ)がいたという点である。伊藤博文の女遊びの激しさは有名だが、他の総理も大なり小なり、複数の女性と関係を持っている。しかも、それを本妻のほうも(女性としての内心ははかり知れないが)許し、公認しているのだ。

 伊藤の妻である梅子夫人などは、夫が次々と自宅に連れてくる女たちを細やかに世話し、自分の娘ほどの歳の芸者に対して「御前さまは公務で大変お忙しい方だから、あなたが来て慰めて呉(く)れるのが、一番御前さまのお気休めになるのよ。御前さまはあなたを大変ご贔屓(ひいき)だから時々来て慰めて下さいね」という言葉までかけたという。

 これを恨みがましい嫌味と受け取っては、夫人に対して失礼にあたるだろう。そんな浅い感情ではなく、本妻として公私にわたって夫を支えているのは自分であるという強い自負心ゆえの言葉と受け取るべきである。

 一方、夫のほうも、どんなに多くの妾・愛人がいても、たいていの場合、本妻をないがしろにしてはいない。伊藤は「尊敬する人は?」という問いに対して、「(天皇以外では)おかゝぐらいのものじゃ。その外には、今日吾輩の尊敬するものはいない」と断言している。このような本妻に対する姿勢は、他の多くの総理にも共通して見られる。もっとも、大隈重信のように早稲田大学の構内に“妻の銅像”を建てようとして学生の反発を受け、建設途中で銅像が破壊されてしまったという、行き過ぎた愛妻家(恐妻家?)もいるが…。

■女性との接し方で、「総理としての器量」が見える

 そして、本書を一読して気づくのは、総理たちの「女性との接し方」と「政治家としての器量」が、どこか共通している点である。女性との関係で万事そつがないタイプの総理は政治手腕も巧みであり、女性との関係が雑な総理は政治の処理もどうやら甘かったように感じられる。その点を浮かび上がらせることこそが、本書における著者のねらいかもしれない。

 冷静に考えてみれば、この関連性は当然のことだろう。政治とは、つまるところ人心を操り、動かす仕事だ。自分が対面した異性の心を上手にさばけないようでは、政治家など務まるものではないのかもしれない。

 また、男と女という真剣勝負の関係でこそ、その人の本質が表れるものだ。そういう意味で、吉田茂や田中角栄、あるいは女性スキャンダルでわずか69日の短命政権となった宇野宗佑など、同著者による「総理の女・戦後版」も、ぜひ読んでみたいものだ。

文=奈落一騎/バーネット