警察がGPSをコッソリ車に… プライバシーの未来を懸けた弁護団の戦いが始まる

社会

2019/7/30

『刑事弁護人』(亀石倫子、新田匡央/講談社)

「先生、警察ってそんなことまでやっていいんすか?」

 その前代未聞の裁判は、ある窃盗事件の被疑者が発した素朴な疑問から始まった。彼は窃盗団のリーダーとして逮捕されるまでの2年間、数百件もの犯行を重ねた。それ自体は許されることではないし、当の本人も潔く罪を認めて「刑務所で罪を償う」と言っている。

 しかし、彼にはどうしても納得のできないことがあったのだ。捜査中、警察が彼の車に勝手にGPSをつけていた(しかも、後で判明した事実だが、事件とはまったく無関係である彼の知人の車にもつけられていた)。

 自分がいくら悪いことをしたからといって、そんな捜査のやり方は間違っているのではないか。

 接見に訪れた弁護士・亀石倫子に対して、被疑者はこう訴えたのである。その言葉は彼女を動かし、やがて日本初の画期的な最高裁判決へと結実することとなった。

 本書『刑事弁護人』(亀石倫子、新田匡央/講談社)は、GPS捜査の違法性をめぐって戦った若き弁護士たちの記録である。

 最大と争点となったのは、「GPSを捜査のためと称して、厳格なルールもなしに使うことが許されるのか」ということだ。最近のGPSは超高性能で、ほぼ正確な位置を割り出せるところまで進化している。つまり、GPSをつけられた人がいた場合、その人の行動がほぼ丸裸になってしまうということだ。しかも、GPSを使って分かるのは行動だけではない。病院へと移動すれば「体の具合が悪い」ということが推測できるし、教会や神社などの宗教施設に行けば「○○教の信者だ」と信じている宗教もわかってしまう。GPSは外面的な行動だけでなく、その人の内面の思想・信条を含むプライバシー情報を徹底的に暴くものなのだ。

 GPS捜査を許すということは、我々の大切なプライバシー情報を警察に代表される国家権力に渡すということである。

 一般的な刑事ドラマでは警察官は基本的に市民を守る正義の味方であり、罪を犯した人はどうしようもない悪人ということになっている。また、この記事を読んでいる人の中にも、「犯罪者にはプライバシーも人権もない」と考えている人がいるかもしれない。

 しかし、本当にそれでいいのだろうか。本書は私たちにそう問いかけているのだと思う。

「どんな重大な罪を犯した人も適正なルールに則って取り扱われ、また人権も保障される」というのが近代的な法治国家の鉄則だ。そうでないと、結局私たちは自分で自分の首を絞めることになる。

 思い出してほしい。この事件では、犯罪者ではない一般市民の車にもGPSが装着された。「捜査のため」という名目で、罪のない人のプライバシーが侵害されたのだ。

 安易なGPS捜査を許すことは国家が国民を監視する監視社会への道を開く。もしそうなったとき、私たちは今までと同じように、自由に自分の考えを言葉で表現したり、選挙で自分の入れたい候補に投票したりすることができるのだろうか。

 弁護団がこの裁判を通して守りたかったのは、私たち国民の自由、そして、この国の未来である。「こんな捜査のやり方は絶対おかしい」という亀石の思いに突き動かされるように、弁護団は走り出す。亀石の同期や後輩で構成された弁護団のメンバーはみな弁護士になって5年程度の若手ばかり。知識も経験も十分にあるとは言い難い。正直勝てるかどうかもわからない。ついでに、報酬も期待できない。

 彼らを突き動かすのは「今我々がやらなくちゃいけない」というパッションと使命感のみ。それが最終的に最高裁の裁判官たちをも動かして「令状なきGPS捜査は違法」という思い切った判決に至るわけなのだが、そこまでの過程についてはぜひ本書を読んで確かめてほしい。ところどころ法律用語が出てくるので若干戸惑うこともあるかもしれないが、青春小説でもこんな熱い展開は滅多にない。

 プライバシーは現代人にとって、自分が自分らしくあり続けるための大切な権利である。それを守るために、国家権力という強大な敵と戦った人たちが確かにいた。法律に興味がある人にも、そうでない人にも読まれることを願う。

文=紀村真利