日常にひそむ狂気! ハライチ・岩井がエッセイ集で明かした“死の不安”とは?

文芸・カルチャー

公開日:2019/10/19

『僕の人生には事件が起きない』(岩井勇気/新潮社)

 お笑いコンビ・ハライチの岩井勇気さんが、初のエッセイ集『僕の人生には事件が起きない』(新潮社)を刊行した。テレビ越しには、相方である澤部佑さんの陰に隠れた存在に映る一方で、テレビ番組「ゴッドタン」で芸人へのダメ出しをする場面をはじめとして、時折みせる辛らつな一言で鋭い牙をむく姿も目立つ。

 今回のエッセイ集に収録されたエピソードも、岩井さんのいわば“狂気”ともとれる片鱗が垣間見えるものばかり。ページをめくるたびに、なにげない日常を俯瞰的かつシニカルに捉える岩井さんならではの視点に自然と引き寄せられてしまう。

■自宅の庭を“死の庭”に変える危機をあと一歩で回避

 庭付きのメゾネットで一人暮らしをしていると明かす岩井さん。春あたりから生い茂る雑草を一本一本ていねいに抜いたりと、几帳面に庭の手入れをしていたある日にふと、ネットを介して「土に塩を撒く」という方法へとたどり着いた。

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 岩井さんが見た情報は「しつこい雑草には塩がいい」というもの。何でも、「土に塩を撒くと植物が枯れて雑草も生えてこなくなる」のに加えて、「虫も出なくなる」という手入れの仕方があったという。

 さっそく「いい情報を得た」と思い、塩を買いに行こうと思い立った岩井さんであったが、じつはここでふみとどまった。別のサイトで「庭に塩は絶対に撒かないように」と注意する情報を見つけたからだ。そこで伝えられていたのは“塩害”の怖さ。塩を撒くと雑草が生えてこなくなる一方、同時に「庭の土は死に、二度と植物は生えてこなくなる」と書かれていた。

 この顛末について「危うく自分の家の庭を『死の庭』に変えてしまうところだった」と振り返る一方、「次に住む人も庭が『死の庭』になっていたら嫌だろう」と気遣いもみせる岩井さん。日常にひそむなにげない怖さを“死の庭”というフレーズでくくるあたり、その鋭さが垣間見える。

■あんかけラーメンの汁を水筒で持ち運ぶという“狂気”

 日常生活は「いつもやらないことを少し加えるだけで全然違う風景に見える」と思いを巡らせる岩井さん。それを教えてくれたのは、水筒にあんかけラーメンの汁を入れて持ち運ぶという経験だった。

 一時期、インスタントのあんかけラーメンにハマっていた岩井さんはふと「この美味しいスープをいつでも飲めればな…」と思った。そこでひらめいたのが、あんかけラーメンの汁のみを持ち歩くという方法。思い立ったが吉日といわんばかりに、水筒にあんかけラーメンのスープの粉を入れてお湯を注ぎ、出かけることにした。

 駅のホームで電車を待つ間に、ひと口味わってみるとうまさは格別。一方、周囲がまさかあんかけラーメンの汁を飲んでいるととても思えない環境で、岩井さんは「僕だけが感じている日常が、また1つのスパイスになり美味しさを増幅させている」と悦に入っていた。

 日常にひそむ“狂気”とは、ほんのわずかなことなのかもしれない。ただ、水筒に入ったあんかけラーメンの汁を飲むという経験をした岩井さんは「確実に背徳感に似た感覚を覚えていた」と振り返る。

■上がったら死ぬ役満「九蓮宝燈」で“死の不安”に駆られる

 趣味のひとつとして、麻雀を楽しんでいると明かす岩井さん。その理由は「運と実力のバランスが最高に良い」からだと綴っているが、ある日の対局で、作るのがきわめて困難かつ“上がった者は死ぬ”とまでいわれている役満「九蓮宝燈(チューレンポートー)」を達成した。

 その日、岩井さんが九蓮宝燈を出すやいなや、口々に「もう帰ろう、帰ろう」と言い出して麻雀仲間は解散。ひとりで帰路へついた岩井さんは、ずっと「死の不安」に怯えていた。

 歩いている途中でも「急に暴漢が近付いてきて、襲われて死ぬんじゃないか」と思いが巡る。自宅で夕飯のカップ焼きそばを食べていても「麺が喉に詰まって“窒息死”するんじゃないか」という考えが頭をよぎり、落ち着いて過ごせなかったという。

 ふたを開けてみれば何もなく、無事に翌朝を迎えた岩井さん。しかしながら、「体験したことのないことと、得体の知れない噂が合わさった時、人は恐怖してしまう」と当時の経験を回想する。

 さて、本書ではこの他にも数々のエピソードが収録されているが、どれを読んでも味わえるのが“日常には何もない。でも、何かある”という感覚。岩井さんならではの切り口は、当たり前にある生活の機微を不思議と教えてくれる。

文=カネコシュウヘイ