パワハラ、うつ、親との確執…中高年のひきこもりが急増中! その深刻な実態は?

社会

2019/11/13

『中高年ひきこもり ―社会問題を背負わされた人たち―』(藤田孝典/扶桑社)

 最近、「8050(ハチマルゴーマル)問題」という言葉をよく目にする。これは、80代の後期高齢者にさしかかった親が、50代の中高年のひきこもりの子の面倒を見ているが、しだいに親の収入の減少や、親の死、介護の問題などによって、その生活が成りたたなくなるという社会問題だ。これによって、「ひきこもり家庭の高齢化」も顕著になった。

 かつては、ひきこもりは若者の問題というイメージがあった。だが、2018年度の内閣府調査によれば、全国のひきこもり者数は推計値で115万人 おり、そのうちの半分以上、63.1万人 が「40~64歳の中高年」なのだ。少子高齢化の影響もあり、ひきこもりに占める中高年の割合は今後ますます 増加していくものと考えられている。

 そんな現代日本が直面している大きな社会問題について、数多くの当事者たちの声を拾いながら、その実態と解決策を模索するのが『中高年ひきこもり ―社会問題を背負わされた人たち―』(藤田 孝典/扶桑社)だ。著者はソーシャルワーカーとして現場で活動する一方で、『貧困クライシス 国民総「最底辺」社会 』(毎日新聞出版)や『下流老人』(朝日新聞出版社)など、社会の格差や貧困問題を鋭く追及する著作を何冊も出している。

■高齢化が進むひきこもり問題の実態と背景

 本書を読んでまず気づかされるのは、世間一般のひきこもりに対するイメージと実態のズレである。ひきこもりといえば、学生時代に不登校になってから、それ以来ずっとひきこもっているといった印象を持っている人も少なくないだろう。だが、内閣府の調査によれば 、ひきこもりになったきっかけとして一番多かった答えは、「退職したこと」の36.1パーセントで、ついで「人間関係でうまくいかなかった」の21.3パーセント、「職場に馴染めなかった」の14.9パーセントとなっている。一方で、「小中高での不登校」や「受験に失敗した」などの理由は、どれも5パーセント以下である。つまり、成人後に社会に出てからひきこもりになった人のほうが多いのだ。

 たとえば、本書に登場する41歳の女性は、場面緘黙(かんもく)症という特定の状況で話せなくなる症状 のせいもあり、職場での人間関係がうまくいかなくなって30歳をすぎてからひきこもりになったという。また、別の49歳の男性の場合、新卒で就職後、半年で離職し、以後ひきこもり生活を送っているという。

 その他、パワハラやリストラ、病気などが原因で会社を辞めざるを得なくなり、それがきっかけでひきこもりになったという人の事例が本書にはいくつも載っている。また、そのような経験をしてきた人に対して、「甘えている」とか「怠けている」という世間の視線はまだまだ強いのも実情だ。だが、ひきこもっている当事者自身は世間の視線以上に、「申し訳ない」「不甲斐ない」と思い、自分を責めているということも知っておいてほしい。そして、いまは普通に社会生活を送っている人でも、なにかのきっかけでひきこもりになってしまうことが、いくらでもあることを知っておいたほうがいい。ひきこもりは、誰にでも起こり得るのだ。

 さらに、この問題がいま特に深刻化しているのは、社会構造の変化という要因も大きい。昔から「人間関係が苦手」という人は一定数いた。だが、そういう人たちも、一昔前までなら自営業や職人になるという道の選択肢があった。ところが、現代では企業の社員になるか、そうでなくても派遣・契約・パートといった非正規社員として働くかの二極化を しており、そのどちらも人間関係や組織とは無縁ではいられないのだ。

■ひきこもり問題を解決するのは「誰の」責任か?

 ひきこもり問題は、社会が認識するようになってあまり時間が経っておらずまだ手探り状態というのが実態だが、それは仕方がない。ただ、ひきこもりの当事者や支援団体関係者の多くに共通する認識は、国や行政が上から一方的に支援しようとしたり、補助金をバラ撒いても問題は解決しないだろうということだ 。それよりも、すでに動いている当事者活動や団体を後方から支援するような施策のほうが効果的であると本書は説く。結局、当事者目線がなければ、どんな施策も支援もムダということかもしれない。

 最後になるが、本書にはたびたび「生そのものをありのまま無条件で受け入れる」、「自分自身を無条件でありのまま受け入れてもらう」というフレーズが登場する。たしかに社会全体がそういう空気になれば、ひきこもりの問題は解決に近づくはずだ。だが、その実現は、個人的には難しそうに思える。

 ただ、運が良ければ、社会全体とまでは行かなくても、ありのままのあなたを「受け入れ、肯定してくれる」他者の1人や2人には出会うことができるかもしれない。ひきこもりであろうとなかろうと、人生の希望はその“つながり”に期待することにあるのではないだろうか。

文=奈落一騎/バーネット