53歳イケオジ×25歳ピュア女子の、見えない“愛”をめぐるラブストーリー『僕らに月は見えなくていい』

文芸・カルチャー

公開日:2019/11/28

『僕らに月は見えなくていい』(櫻いいよ/一迅社)

「恋」と「愛」の違いについて、考えることがある。辞書を参照してみると、「恋」とは「特定の異性に強く惹かれる気持ち」、「愛」とは「対象をかけがえのないものと認め、大切にしたいと思う気持ち」だという。しかし「愛」は、「恋」と同義であるようにも書かれているし、「恋」も古くは「愛」と似た意味で使われていたようだ。違いにばかり目を向けていても混乱するので、共通点を探してみる。人間関係において「恋」や「愛」を語る多くの場合は、ふたり以上の登場人物が必要だ。

“恋愛”小説である『僕らに月は見えなくていい』(櫻いいよ/一迅社)も、ふたりの男女の出会いで幕を開ける。

 薄暗い店内で、手と手が重なる。
 女性の小さな手は、少しカサついた大きな手にすっぽりとおさまった。
「ほら」
 心臓が口から飛び出そうなほど緊張していることを、隣の男は気づいているのかいないのか、唇を耳に触れそうなほど近づけて囁く。そして空いているほうの左手で窓を差す。
 男の人にしては繊細な指先に釣られるように視線を動かすと、窓の外にまんまるの月がぽかんと夜空に穴を空けているかのように浮かんでいた。黄色というよりも白色に近い満月。

「今夜は、月が綺麗ですね」

 主人公の藍がバーで出会ったのは、兼業小説家の高崎という男。見た目は40代半ばだが、藍よりも28歳年上の53歳だという。聞き上手で、大人の色気を醸し出す高崎と話すうちに、藍は先週別れた彼氏のことを思い出した。藍は、同じ相手と1年以上関係が続いたことがない。唯一の女友達によると、「藍は理想ばっかり追い求めて相手をちゃんと見てないんだよ」。だが、藍は決めたのだ。彼との同棲を解消したこの機会に、今までとは違う自分になる。今日も、バーのあるこの町に引っ越そうと物件を探していたのだ。

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「それなら、僕の家に住んじゃえば?」。ほろ酔いの高崎の口から出たのは、藍の期待どおりの言葉だった。「わたし、本気にしちゃいますよ?」。あえて軽い口調で応える藍と、高崎の距離は近づいていく。指先が触れ合う。心臓が震える。彼の手が窓を示し、唇が甘く囁く。「今夜は、月が綺麗ですね」──何度も聞いたことのある、有名な「I Love You」の訳文だ。それを聞いたとき、藍は確信してしまった。彼は、わたしの運命の人。──そのときはまだ、誰をも優しく受け入れる高崎が、受け入れた者を決して幸せにできない男だとは知らないで。

「恋」や「愛」を定義することが難しいのは、それが種々の関係の中で、無限に変容するからだろう。男女の恋、親子の愛、友達を想う気持ち、仕事仲間への信頼。恋といっても、甘いときがあれば苦いときもあり、夫婦愛とひとくちに言っても、夫婦の数だけ愛し方は違う。自己肯定感といった「自分への愛」も、周囲との関係があってこそ育まれるものだ。

“恋愛”という形なきものを掴み取ろうともがく、ひとりの男と、ひとりの女の物語。藍と高崎の手にしたものを見届けたなら、読み手のあなたも、自分にとっての「恋」や「愛」の定義を発見できるに違いない。

文=三田ゆき