「付き合ってくれないなら死ね」!? 『万葉集』から“カスなやつら”の“イタい歌”を厳選『ざんねんな万葉集』

文芸・カルチャー

2019/12/24

『ざんねんな万葉集』(岡本梨奈:著、雪路凹子:イラスト/飛鳥新社)

 いつの世も、ダメ男や性悪女は健在らしい…。そんなことがありありとわかってしまう本『ざんねんな万葉集』(岡本梨奈:著、雪路凹子:イラスト/飛鳥新社)が発売された。

「万葉集」といえば、今回の改元でも話題になり、学校でも古典の授業で数多くの和歌が扱われるなど、日本を代表する和歌集。一般的には、日本古来の美しい風景や心情が歌われたものというイメージだ。

 しかし、今回著者の岡本梨奈さんが紹介するのは、そんな万葉集のイメージを一気に覆すような和歌ばかり。

 たとえば、これ。

「愛しと我が思ふ妹は はやも死なぬか 生けりとも 我に寄るべしと人の言はなくに」
付き合ってくれないなら死ね

 現代語訳は「美しいと私が思う愛しいあの娘は早く死なないかなあ 生きているとしても『私になびくだろう』と誰も言ってくれないので」である。要は自分に気のない女の子は早く死ね、という歌。

 ちょっとちょっと、正気ですか!? こんな犯罪者思考の和歌が当然のように収録されているというのだから驚き以外の何物でもない。

 ほかには、こんな歌もある。

「かくばかり 恋ひつつあらずは 朝に日に 妹が踏むらむ 土にあらましを」
大好きなきみに踏まれたい

 現代語訳は「こんなにも(無駄な)恋をし続けていないで 朝も昼も愛しいあの娘が踏んでいる土になれたらよかったのになあ」と、もう完全なるヘンタイでしょ、これは。報われない恋にもどかしくなる気持ちはわかるけど、「土になって踏まれたい」は完璧ヘンタイの発想。

 …といったように、なんとも「ざんねんなやつら」の歌ばかりを集めたのが本書。もちろん、男ばかりではなく、ざんねんな女の歌も。

「うまし物 いづくも飽かじを 坂門らが 角のふくれに しぐひあひにけむ」
娘はなぜデブと結婚したのかわからん

 現代語訳は「おいしいものはどなた様もいやではないのに(どうして)坂門さん家の娘子は角氏のおデブさんとくっついてヤっちゃったんだろう」と、毒舌フルスロットルな歌。これは女性が詠んだもので、地位の高い家柄のイケメンの求婚を断って、「卑しい身分のブサイク(原文訳)」と男女の関係になった女性についての和歌とのこと。

 ただ一言「余計なお世話!」と言いたくなるような内容だが、わざわざ歌にしたためるあたり、単純な疑問というよりも「マウンティング」もしくは「彼氏がいない女のひがみ」かもと著者は推測。うん、確かにいるいる、こういう他人の恋路にばかり口出す女。いつの世も、嫌〜な女っているんだな。

 そういえば、筆者は学生時代に、いい歳したおじさん(40代とか)にしつこく食事に誘われ、その場で言い寄られたりホテルに連れて行かれそうになったことがよくあったのだが(筆者に限らず、若い女は舐められやすい場面がよくある)、これも実は古代の日本で同じような事例があったみたいである。

「白髪生ふることは思はず をち水は かにもかくにも求めて行かむ」
オーケー若返ってくるから待ってなベイビー

 現代語訳は「白髪が生えていることは何も思わない 若返りの水だけはいずれにしても探しに行こう」。これは、求婚した娘から「白髪おじさんなんて眼中にない」と返され、それに対する返歌として詠ったもの。

 いやいや、もう年齢で門前払いされてるじゃん! いい歳したおじさんが、なに諦め悪いこと言っちゃってんの!? 完全にアウトオブ眼中であることに気づかず、白髪が生えていることは何も思わないよなんて的外れな返事をしちゃうあたり、「そういうとこだぞ」と言ってやりたいところ。いつの時代も身の程知らずのおじさんや、それにうんざりする女がいたんだなあと、つい想いを馳せてしまった。

 とにかく最初から最後まで、ざんねんなやつらのざんねんな和歌ばかりが集められた本書。読みやすい現代語訳や解説だけではなく、漫画家の雪路凹子さんの美麗かつインパクト大なイラストも盛りだくさん。もしかしたら、“ダメ男萌え”する人にとっては眼福な本でもあるかも。

 受験にはほぼ役に立たないけど、万葉集にはとっても親近感の湧く1冊のはず!

文=高橋りょう