学校に行く理由を疑わずに信じられる人生のほうが楽しい――ズシリと心にくる『子どものための哲学対話』

出産・子育て

公開日:2020/1/29

『子どものための哲学対話』(永井均:著、内田かずひろ:絵/講談社)

 社会が成熟した現代は、それほど考えることなく生きられるようになった。社会の一般的な流れに漫然と乗って、学校を卒業し、与えられた仕事をこなし、給与を得て、生活を続ける。やがて死ぬそのときまで。

 文句がなければ、そんな生活も悪くないだろう。けれども人間は考える生き物だ。ほとんどの人は、人生のどこかで何かしら疑問を持つ。幸せとは何か。愛とは何か。これからどう生きるべきか。とりとめのない疑問が頭をよぎる。

 その答えが知りたくなったときは、もしくは考えるきっかけがほしくなったときは、『子どものための哲学対話』(永井均:著、内田かずひろ:絵/講談社)が寄り添ってくれるかもしれない。

advertisement

 本書はタイトルの通り、子どものための哲学書だ。しゃべるネコ「ペネトレ」が、中学生の「ぼく」と、対話の中で様々なことを考える。その対話は全部で40に及ぶ。2人が話す言葉はとても簡単だが、その内容がズシリと重い。

■世の中が成り立つための公式は受け入れなくちゃいけない

 なぜ学校に行かなければならないのか。こんな疑問を子どもの頃に抱いたはずだ。両親に聞くと、答えをはぐらかされる。先生に聞いても、漠然とした答えが返ってくる。あれから月日が流れて、今では「なぜ会社に行かなければならないのか」という問いに変わったかもしれない。

 中学生のぼくも、ペネトレに同じような質問をした。人間よりも人間のことを深く理解するペネトレは、このように答えた。

世の中のいろんなことにはね、公式の答えというものが用意されているんだ。世の中をこのままちゃんと維持していくためには、どうしてもみんなにそう信じてもらわなくちゃこまるってことなんだよ。

 そしてこう続ける。

だから、世の中そのものが持っている公式の答え、世の中が成り立つためにどうしても必要な公式の答えは、受け入れなくちゃいけないんだ。すくなくとも、受け入れたふりをしなくちゃならないんだ。

 なるほど。人間は互いに支え合うことで、「生きるか死ぬか」のドラマを繰り広げる自然界から一線を画す、ある程度安心安全に生きられる仕組みを作った。それが社会だ。

 今の社会にどんな問題点があるにせよ、そこで生きるしかないならば、「世の中の公式」を受け入れるしかない。さらにペネトレは、こんな言葉も添えている。

そういうものを、すこしも疑わずに信じられる人のほうが、うまく、楽しく生きていけるんだけどね。

■愛は世界のはずれから世界の中心へ向かっていく

 愛があれば、人生は華やかになる。しかし時を重ねれば、愛のカタチがどんなものか分からなくなるときもある。

 ペネトレは、愛には2種類あると説く。ひとつは、世界のはずれから世界の中心へ向かっていく愛。もうひとつは、世界の中心から世界のはずれへ向かっていく愛だ。

 恋はいつも単純だ。どこかである人と出会って、いつの間にかその人に特別な感情を寄せる。やがて特別な感情が「すべての意味の源のような存在」にまで高まったとき、その人の存在は「世界の中心」になる。

 もうその人が存在しなくなったら、この世が成り立たないような、そんな特別な感情を愛と呼ぶようだ。そして自分という「世界のはずれ」から「世界の中心」へ、すべてを捧げることを「愛する」というのだろう。

 世界のはずれから、世界の中心から、お互いに愛を捧げ合う恋愛を経て、パートナーと一生を添い遂げる人がどれだけいるだろう。こんなに単純なことなのに、叶わない恋愛が世の中にあふれすぎている。むしろどちらか片側からの愛が一方的すぎるせいで、恋愛はいつの時代も悩ましくて苦しくて、心をときめかせるのかもしれない。

■同じ疑問を抱いても必要な答えはそれぞれ違う

 最後に本書のこの言葉も取り上げておこう。本稿で取り上げた内容は、ある人にとって意味があるけれど、ある人にとっては意味がない。取り上げた種類の問いをすでに考え尽している人、まだ疑問にも思ったことがない人にとっては、無意味であったりややこしいものであったりする文章にすぎないのだ。

ぼくのはなしは、補助線みたいなものさ。ある人には、世界と人生の見え方が変わるけど、別の人には、なにも変わって見えない。ただ、よけいにごちゃごちゃするだけなんだ。(中略)たまたま同じ種類の問いを持った人だけ救える、と言ってもいいな。

 本書には、ぼくとペネトレの対話があるだけで、分かりやすい答えは書かれていない。問いに対する考えの道筋を示すだけ。どうにも不親切に感じるだろう。しかしそれでいい。私たちは同じ人間だが、それぞれ独立した生き物だ。だから同じ疑問を抱いたとしても、その人が必要とする答えはそれぞれ違うものになる。

 人間は考える生き物だ。とりとめのない疑問が頭をよぎるたび、モヤモヤと心の中をくすぶらせる。その答えの道筋は、きっと本書にあるだろう。しかし最終的な答えは自分で出さなければならない。それこそが生きるということだ。

文=いのうえゆきひろ