彼氏が他の女性を妊娠させて…相手女性の口から出た驚きの“頼み”とは――

文芸・カルチャー

2020/4/4

『犬のかたちをしているもの』(高瀬隼子/集英社)

 どうしてセックスは小説や映画の世界だと美しくて愛の象徴みたいなのに、実生活の中だとあんなにも陳腐で愛が見えないんだろう。これまで恋愛をする中で、そんな想いを何度も感じてきた。だから、『犬のかたちをしているもの』(高瀬隼子/集英社)の一節に深く共感したのだ。

“セックスをしてると、大切にされてないっていう気持ちがどうしてもわいてきてしまって。もちろん我慢はできるんだけど、我慢してやってると、相手のことが好きじゃなくなっちゃうんだよね”

 本作は集英社が主催する、第43回すばる文学賞の受賞作品。高瀬さんが生み出した主人公・間橋薫の胸の内は「女」として生き続けることを求められている、世の女性の心に刺さる。

見知らぬ女性から「子どもをもらってほしい」と言われて――

 薫はもともとセックスが好きではなかったが、卵巣の病気を患ってから、その想いが余計に強くなった。恋人の田中郁也には付き合い始めの頃に「そのうちセックスしなくなる」と宣言。交際4カ月以降、セックスなしの恋人関係を3年続けていた。

 そんなある日、郁也からコーヒーショップに呼び出された薫は「ミナシロ」と名乗る女性と対面。郁也は大学の同級生だったミナシロとお金を払ってセックスをし、妊娠させてしまったと言う。

 子どもは育てたくないし、産むのは怖いし痛いから本当は嫌。でも堕ろすのは、もっと怖い。そう打ち明けたミナシロは思いもしなかった頼みを口にする。

“「間橋さんが育ててくれませんか、田中くんと一緒に。つまり、子ども、もらってくれませんか?」”

 ミナシロは返答に困る薫に、子どもが産まれるまで定期的に会いたいと告げ、2人は交流するようになる。その中で薫は郁也に対する愛や自分に向けられている愛の形はどんなものなのかを考え始めた。真っ先に頭に浮かんだのが昔、兄弟同然に育った愛犬・ロクジロウ。愛犬への気持ちはこれまで生きてきた中で唯一、愛だとはっきり断言することができるものだったからだ。あの気持ちを、私は恋愛で抱いたことがあるだろうか――。

 また、ミナシロに宿った存在がお腹の中で育ち、子どもになっていく過程で薫は自分の性や生き方、将来ともこれまで以上に深く向き合い始めるのだ。

 女性は普通に生きているだけでも、男性よりも子どもという存在と密接しているように思う。子どもがきっかけで仲が良かった友人との距離感が変わってしまったり、「子どもを産む」という女としての行為に個としての価値を見いだされてしまったりもする。薫も卵巣の手術後、同級生の父親からこんな言葉を言われ、ショックを受けた。

“卵巣がそんなんじゃ、結婚もできないだろうしね、ほんとうに、かわいそうに。”

 私たち女性は子どもを持つか持たないかの前に、産む・産まない・産めないの問題と向き合わなければならない。そんな時、「性」を基準にして人生の幸福度や生き方を他人から非難されたら、どうすればいいのだろう。

 子どもを産めないかもしれない薫と、できれば子どもなど産みたくなかったミナシロ。2人の女性は対照的な状況だが、どちらも思い通りにならない「女」としての人生を送っている。薫は子どもができにくい自分をどこか足りない存在だと思っており、最初は戸惑ったものの、ミナシロから譲り受ける子どもを我が子にして両親に見せたならどんなに喜ぶだろうと想像し、心躍らせた。

 しかし、その一方で身軽だからこそ転職にチャレンジしたいと意欲を燃やしたり、同僚に子どもの写真を見せられた際には隣に映っている犬のほうがかわいいという正直な気持ちが心の奥から出てきてしまったりもする。

 一方、子どもをほしくないミナシロは薫から言わせれば、余計なものを持ってしまったと感じる女性。子どもを望む女性から見れば羨ましい妊娠という状況も、まだまだ自由でいたいミナシロにとっては不自由以外のなにものでもなかった。だが、お腹の中で大きくなる我が子に対し、徐々に情のようなものを抱き始めていく。

 2人の思考の揺らぎは、女性としての幸せに正解などないのだということを訴えかけているように思え、順風満帆にいかなかった「女」の自分を抱きしめてあげたくなった。

 そして、薫の嫌悪感やミナシロの妊娠を通して、セックスや愛の意味を改めて考えたくなる。薫のように愛があってもセックスは必要ないと思う人と愛があるからこそ互いを求め合う人では、愛情の表現法が違う。また、郁也のように愛しているからこそ恋人の気持ちを尊重し、恋人とは別の相手との性欲を吐き出すためのセックスを求める人もいれば、子どもを授かるため生殖的なセックスをする人もいる。ひとつの行為に対する想いは人や状況によってこんなにも違う。セックスは愛を証明する手段になったり、ならなかったりする。だったら、私たちは愛をどこで確かめたらいいのだろう。薫がロクジロウに抱いたような見返りを求めない愛は男女間に存在するのだろうか。

 そう考えると、自分がしてきた過去のセックスの意味にも思いを巡らせたくなる。愛したあの人は、どうでもいいと思ったあいつはどんな想いで身体を交わらせていたのだろうか、と…。

 予想外の妊娠によって女性の生き方を、セックスへの価値観を通して人の愛し方を考えさせられる本作は女性だけでなく、男性にも手に取ってほしい作品。読後、あなたはどんな形の「愛」をどう表現しようと思うだろうか。

文=古川諭香

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