「女性専用車両は誰のため?」男女二択の差別論では解けないカギを、話題の論客が本音で語る

社会

公開日:2020/5/8

『私の考え』(三浦瑠麗/新潮社)

『私の考え』(三浦瑠麗/新潮社)は、テレビの討論・バラエティ番組に頻繁に出演する著者による1冊だが、その内容は「自分の考え」を一方的にただ語る内容ではない。本書で一貫しているテーマはむしろ「他者」で、『週刊新潮』に著者が連載してきたコラムを再編して収めたもの。『21世紀の戦争と平和 徴兵制はなぜ再び必要とされているのか』(新潮社)などの著作や、Twitter、パネリストとしての発言でさまざまな賛否をまきおこしてきた著者が、多くの他者からの批判にさらされる中で、強固たる「私自身」を形成してきた過程も本書には綴られている。
 
 たとえば初出演以来ほぼ毎回出演しているという「朝まで生テレビ!」で、あるとき同番組について、「みんな人の話を聞かずに怒鳴りあう」「番組の冒頭と終わりで誰も自説を変えておらず、進歩がない」と意見したところ、それに対して「生放送で恣意的な編集をしない朝生は、言論の自由を守る解放区」だという反論が寄せられたことがあるそうだ。著者は「まったくその通りだと思う」と前置きした上で、「他者」を話題の中心にしてその返答を書き綴っている。

“私が言いたかったのは、お行儀よくしろということでもなければ、解決策を番組で提示したいということでもなかった。別に、みんなで一つの解決策にたどり着くなどということを信じているわけではない。
むしろ、人は分かりあえないからこそ、まずは相手の話をよく聞くべきではないかと思ったのだ。”

 知らない、わかりあえない、伝わらない――多くの人々は、こういったシチュエーションにおいて悩みや苦しみを抱くはずだ。著者はむしろそこに“チャンスや喜び”を見出している。知らないことから、未知の世界が開けていく。わかりあえない前提で、丁寧なコミュニケーションをこころがける。伝わらないことが、より伝えるためのチャンスである。

 言い換えれば、アンバランスながらも他者の世界観から学び取って統合していっても、「私」は揺らいでいる。だが、その揺らぎというのは不安や苦悩によるものではなく、変化・進化を希求して、向かい風にも負けず推進していくことによるものなのだ…と、著者の言葉を読み進めていく内にわかってくる。

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「私」を深めるために、どうすべきか?

 では、物事を表層的にしか見ず、考えないという状態は、どのように防げるのだろうか。著者自身の幼少期・思春期の思い出、家族とのやりとり、さらに身近な事例などから、その心がけの秘訣を読者に共有してくれている。


「この国の未来に必要なもの」という章の「女性専用車両は差別か」というトピックでは、マークシート方式の試験問題のように単なるマルバツや選択肢の中の範囲にとどまった思考ではなく、枠で括られている自分の状態を俯瞰したり、枠から飛び出したりして考えることの大切さが説かれている。

“女性が女性専用車両に乗るのは、男性を差別しているからではなく、痴漢に遭う確率をゼロにしたいからだ。すべての男性を潜在的加害者として見ているのではなくて、車両選択を偶然に任せてもしも痴漢に遭ったら、ひどいダメージを受けるから嫌だという人を保護するため。”

 表層的に生きることは「私」のことだけ考えると楽かもしれない。だがそれ以上に、幸福の指標には何がなり得るだろうか。最終章のタイトルが「子どもに寄り添う 子どもに向き合う」であることが示す通り、「他者」に何を伝え、何をのこせるかという基準で物事を考えると、「私」が生きる上での優先順位は大きくシフトするだろう。

 本書にはこうした思いやりの思想が、『私の考え』という一見表層的なタイトルに包まれて表現されている。マルかバツかの二択では解決できない問題だらけの世の中で、ジレンマを抱えながらも、共に悩みつつ前に進んでいく推進力を読者に与えてくれる1冊だ。

文=神保慶政