「家族の自死」はどう乗り越える? 実体験をもとにした『鈴木家の嘘』にみる、自死遺族の再生

文芸・カルチャー

更新日:2020/7/1

『鈴木家の嘘』(野尻克己/ポプラ社)

「心に焼き付く」とは、こういう小説を示すためにある言葉なのかもしれない。『鈴木家の嘘』(野尻克己/ポプラ社)を完読した時、真っ先に胸にこみあげてきたのが、そんな感情だった。一番身近にいる「家族」。私たちは、その存在から目を背けすぎてはいないだろうか。

 本作は、同タイトルで2018年に上映された作品を小説化。自身の兄を自死で亡くした野尻克己監督の実体験がもとになっている衝撃作だ。

家族の「自死」が我が家の秘密に…

 40年以上勤めた会社を定年退職するも技術指導のため嘱託社員として再雇用されていた鈴木幸男はその日、上機嫌だった。なぜなら、自身が考案した包あん機が絶賛され、羨望の眼差しを浴びたから。還暦を迎えてもなお自分の未来は可能性に満ちている。そう感じていた。しかし、帰宅後、娘の富美から息子の浩一が自死したことを知らされ、一気に暗闇に突き落とされる。

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 3年ほど前から引きこもり気味だった浩一は自分の部屋で首を吊って死んでおり、傍には手首から血を流したまま気を失った妻の悠子と包丁があったそう。悠子はそのまま病院で意識不明に陥った。

 なぜ、自ら死を選んだのか。どうして止められなかったのだろう。そんな思いを抱えたまま幸男と富美は四十九日の納骨を迎えた。しかし、自死であることを理由に予定していたお寺から納骨を拒否されてしまう。

 そんな時に飛び込んできたのが、悠子の意識が戻ったという連絡。浩一の後追いをしようとしたであろう悠子は自分だけが生き延びたという事実に、これから耐えていけるのだろうか…。新たな悩みを抱えながらも、幸男たちは病院へ向かう。

 ところが、悠子は意識を失っている間に浩一が死んだという記憶を忘れてしまっていた。その姿を見て富美はとっさに、浩一は悠子の入院費を稼ぐために引きこもりをやめて、アルゼンチンで働いていると嘘をつく。

 かねてから、引きこもりの息子を誰よりも心配していた悠子は嘘を信じ、満面の笑みで喜ぶ。そんな笑顔を見て、幸男も腹をくくる。この嘘を、絶対に守り抜こうと。

 以降、幸男と富美は嘘の説得材料を積み重ねながら、浩一が生きているかのように偽装し、“何事もなかった家族”を演じようとする。しかし、徐々に嘘では埋められない家族の溝をひしひしと感じ始めてしまい――。

 3人はそれぞれの視点で浩一と過ごした日々を振り返る。息子の不登校を少年期の通過点と思い、その後の育児をすべて妻に任せてきた幸男。不登校である兄を恥ずかしく思い、浩一に繋がる記憶の回路をシャットアウトし続け、存在をないものとしてきた富美。将来のためと言いながら、自らが望むレールに息子の人生を乗せようとした悠子。それぞれが思い出す浩一との日々は笑顔溢れるものではなかったからこそ、3人は過去の記憶を振り返り、自分がした選択の正しさを祈る。幸男と富美は、浩一の自死は自分のせいではなかったと自身に言い聞かせ、悠子は浩一が社会復帰できたのは自分のおかげだと誇る。だが、嘘にほころびが見え始めた時に、家族は思う。自分は浩一の何を見ていたのだろうかと。

 本作で描かれる家族への愛憎や自罰心理は、実際に自死遺族となった野尻氏だからこそ表現できたもの。慰めの言葉では癒すことができない深い傷に、読者の心もかき乱される。優しさと自己防衛が混ざった、鈴木家の嘘。その嘘によって父、母、妹は何を感じ、どう「家族」を築きなおそうとするのだろうか。

 ユーモアを交えながら綴られた「家族再生記」は、自分の家族の見方も改めたくなる一冊。家族であり続けることの難しさと尊さの両方を、本作は訴えかける。

文=古川諭香