希代の美術家・会田誠と同世代の美大生・浪人生…「最低の夜」に何が起きたのか?

文芸・カルチャー

更新日:2020/11/2

げいさい
『げいさい』(会田誠/文藝春秋)

 国内外を問わず、会田誠ほど独自のポジションと作風を確立した美術家は珍しいだろう。代表作「あぜ道」が中学校の美術の教科書に載る一方、評者も観覧した「会田誠展:天才でごめんなさい」(2012年)では性暴力や児童ポルノを肯定する作品があるとして、市民団体から抗議を受けた。

 その後も何かと物議を醸す作品を創り続けている会田だが、それは彼の突出した個性に付随する「毒」のようなものだと思う。そんな会田誠の『げいさい』(文藝春秋)は、彼と同世代にあたる美大生の立身出世以前の「修業時代」を綴った青春群像小説である。

 本書の舞台は多摩美術大学の学園祭(以下芸祭)の夕方から夜にかけて。主人公は東京藝術大学(以下藝大)目指して浪人中の二朗だ。芸祭での酒宴を軸にしながらも、彼が藝大に合格する以前、美術予備校に通っていた頃のエピソードが度々挿入される。苦い想い出の詰まった当時の心境や状況を、会田が小説のスタイルを借りて吐露している。

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 高校時代に美術教師に教えを乞うた二朗は、佐渡から上京して藝大を受験するが、1次試験であえなく不合格。そもそも二朗は藝大受験にまつわる予備知識がなく、ストレンジャーのまま東京の美術予備校に入る。だが、そこで彼は藝大受験の特異さに驚くのだった。

 藝大は他大に較べて圧倒的に学費が安いこともあり、競争率が40倍近いという狭き門。芸祭の打ち上げに乱入する馬場は6浪だが、奇しくも日本画家の旗手である松井冬子も6浪の末合格している。

 本書は、日常的に美術を鑑賞したり制作したことのない人にも面白く読めるはずだ。美大生だった読者は数々の「美大あるある」に膝を打ち共感するだろうし、そうでない読者は特殊な異世界を覗いたような感興を得られるからだ。

 藝大の受験は数学のような教科と対照的に、評価の基準が極めて曖昧だ。どれだけ個性的な作品を創る天才でも、藝大受験で成功するという保証はない。藝大受験には同校の基準に合わせた傾向と対策があり、時として強すぎる個性は邪魔にすらなる。多くの受験生がそこで葛藤を覚えるのだ。

 素朴で粗野と言われる二朗の作風は藝大には不向きだ、と予備校で評される。そこで彼は、荒々しくなりがちな作風を意図的に抑制するのだが、この匙加減が実に難しく、彼は思い悩む。

 芸祭で作品を絶賛された熊澤さんという女性も、空間が歪んだような不穏な雰囲気を漂わせる作品を創っていたが、予備校ではデッサン的に正しい、「普通」の絵に矯正された。二朗はこうした日本の美大受験ワールドを「奇妙な掟のある辺鄙な村」と喩える。

 芸祭の夜、二朗は連絡が途絶えていた恋人と久々に再会し、麻薬を嗜みながらディスコで踊りまくり、美術の未来を語り合う生徒たちの言葉に耳を傾ける。最後には狂騒的な雰囲気にのまれ灯油を頭から被り、火をつけようとするのだが……。

 会田曰く本書で描かれているのは、「僕の人生の中でも飛び切り最低な夜の出来事」だと回想する。だが、後に日本の美術界を席巻する彼にとって、これは必要な雌伏期間だったのではないか。

「青春は例外なく不潔である。人は自らの悲しみを純化するに時間をかけねばならない」と喝破したのは、戦後最大の思想家とされる吉本隆明だが、会田が言う「最低の夜」は、彼が本書を書き上げたことにより、純化/浄化されたのかもしれない。

文=土佐有明