ガソリンを頭からかぶってライターで火をつけた…元極道の僕が焼身自殺を図った本当の理由

社会

公開日:2020/8/17

『極道と覚せい剤と刑務所と僕 僕が背負った罪と罰』(佐藤快/リーブル出版)

 この70ページほどの書籍に詰め込まれた人生の重みを、私は受け止めきれるだろうか。『極道と覚せい剤と刑務所と僕 僕が背負った罪と罰』(佐藤快/リーブル出版)を読み終えた時、本の薄さとは対照的な著者・佐藤快さんの人生の重さに思わず身構えてしまった。
 
 焼身自殺の後遺症で曲がった指を動かし、左手の親指1本でLINEに綴った衝撃の実話。それが本書だ。頭からガソリンをかぶり、ライターで火をつけて自殺を図ったという佐藤さん。彼はなぜ、そこまで追い詰められ、死にたいと考えたのか。すべての始まりは、幼少期の頃まで遡る。

極道になった僕が焼身自殺を経て見つけた「生きる意味」

 物心ついた頃から、佐藤さんにとって“極道”は身近な存在だった。祖父が裕福だったため、父親はマンションをいくつか建てるほど羽振りがよく、自宅は3階建ての一軒家。自宅の1階で父親が営んでいた喫茶店には、極道の友人たちが頻繁に出入りしていたという。

 博打好きな父親は極道の友人たちと共に競輪場に行くことなども楽しんでいたが、全財産を使い果たしてしまい、生活は一変する。一家は生活保護を受けるようになり、父親は酒浸りに。母親はホステスとして働いていたが、夫の暴力に耐えかねて家を出ていった。すると父親の飲酒量はますます増え、歩けずに尿を垂れ流すまでに。当時まだ小学生だった佐藤さんは、アル中の父親と認知症の祖母の介護に明け暮れた。

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 そうした家庭環境もあってか、学校でいじめられるようになり、不登校に。うっぷんを晴らすかのように、小学校5年生の頃からタバコを吸い、万引きをし始めたという。中学入学後はすぐに地元の暴走族に入り、シンナーも覚えた。

 そんな日々を続けていた中学2年生の頃、祖母と父親が亡くなったことで人生は大きく変わる。遊んで暮らすには極道になるのがいいと考えた佐藤さんは、父親から教えられていた組長に電話をし、関東に縄張りをもつ連合会の準構成員となった。それからの人生は、さらに波乱万丈。保護観察処分を受けたり、少年院に入ったりもしたそう。

 しかし、愛する女性との間に娘が生まれたことで堅気になる決意をする。それは26歳の時のことだった。入れ墨や小指がない手を隠しつつ2年間塗装工場で働いた後、ダクト配管工事を請ける会社を設立。6名の社員も抱え、ようやく順風満帆な人生が送れるかのように見えた。

 ところが、景気の悪化により会社は倒産し、佐藤さんは再び極道の世界へ戻ったものの、逮捕され、刑務所へ。そこで目にしたのは少年院とは比べ物にならないほど厳しい規則の数々。けれど、本当の地獄はその先にあった。出所後、自らが起こした交通事故で最愛の妻を亡くしてしまったのだ…。

 不幸は続き、ずっと目をかけてくれていた総長や母親までもが相次いで死去。大切な人たちを亡くし続けた佐藤さんは生きる気力を失い、焼身自殺を図る。

 奇跡的に命は取り留めたものの、1級の障害者に。開きっぱなしの目や閉じられない口など、ひどい火傷の後遺症に心が折れ、覚せい剤に手を出し、逮捕されてもやめられなくなってしまった。そんな人生を歩んできた佐藤さんは、自らの罪をこう振り返る。

“刑務所に入り、罪を償っても消えない現実もあります”

 罪を重ね続けたという彼が辿りついた、悲しくも重い結論には説得力があり、心に刺さる。だからこそ、本書を開いて知ってほしい。「悪いことは当たり前」と思って生きてきた彼が「自分は普通ではなかった」と気づけた経緯を。

 覚せい剤の怖さについても鮮明に綴られている本書には、佐藤さんが見つけた「救い」が記されている。僕はなぜ生きているのか――。そう自問し続けた彼が見出した「生きる意味」を、自分自身の目で確かめ、噛みしめ、自分の人生にも思いを馳せてみてほしい。

文=古川諭香

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