ワイドショーの“感情テロップ”って必要? わかりやすい情報の裏で私たちが失うもの

社会

公開日:2020/8/31

『わかりやすさの罪』(武田砂鉄/朝日新聞出版)
『わかりやすさの罪』(武田砂鉄/朝日新聞出版)

『紋切型社会』『芸能人寛容論』などの著者として知られ、ラジオパーソナリティーとしても活躍するフリーライターの武田砂鉄氏。そんな彼が最新刊のテーマで選んだのは世の中に氾濫する「わかりやすさ」。近年テレビでは難しいニュースをわかりやすく解説する番組、書籍では1分で話すことを推奨するビジネス本など、わかりやすさを売りにしたものが数多くヒットしている。コロナに関する会見もバラエティ番組のようにフリップを使用するなど、わかりやすければわかりやすいほどその日のニュースで大きく取り上げられる。だが、世の中簡単に説明がつかないものだらけのはずだ。ここまで何もかもわかりやすくなるものだろうか。

次々と玄関先に情報がやってくるから、顧客が偉そうになった。わかりやすさの盲信、あるいは猛進が、私たちの社会にどのような影響を及ぼしているのだろうか。

 本書『わかりやすさの罪』(武田砂鉄/朝日新聞出版)では、電子書店の書籍レビューで自分が理解できなかった本に「何が言いたいのかわからない」と低評価をつける人、設問を2択で選ばせるテレビ番組のアンケートなど、わかりやすさにまつわる問いかけをさまざまな角度から投げかけて行く。ものごとが単純化され「わかりやすさ」を当たり前に受け取っていた結果、いかに受け手の感覚が麻痺してしまったか、ドキッとさせられる1冊だ。

 本稿ではその中から武田氏が“感情の管理”と呼ぶ「わかりやすさ」に注目したい。

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4回泣けます

 近年公開された邦画に「4回泣けます」というコピーがつけられていた。ハリウッド映画のCMでよく流れる「全米が泣いた」のちょっと大げさなコピーを連想させるが、「4回泣けます」ははなから涙活を意識したお客に向けられており、泣く泣かないの自由どころか、泣くタイミングと回数も規定されている。

「泣いてしまった」ではなく「泣きにくる」のだから、「泣いてたまるか」という意地は介入する場所を持たないのである。どうでもいいのだ。スポーツジムに来て汗を流すのと同じ。目的があって、目的を達成する。目的が達成できなければ次の機会に。「4回泣けます」は「4キロ痩せます」とまったくの同義、読み取れないほどの小さな文字で「※個人差があります」と書かれている状態にある。(略)受取手は、感情を断定されに来ているのである。

 4回泣いたらもとを取った気分になれる人たちもいるのかもしれないが、「大体こことこことこことここで泣くだろうな~」と宣伝会社に思われているのは、少し複雑だ。

悲しいVTRは「悲痛」明るいVTRだと「歓喜」のテロップ

“感情の管理”はワイドショーでも行われている。ワイドショーと言えば、過剰なテロップでお馴染みだが、最近は内容を説明するテロップとは別に、悲しいVTRだと「悲痛」。明るいVTRだと「歓喜」など感情のテンションを示すテロップが出るようになった(枠が丸型で2文字で収まるようにデザインされている)。ニュースの捉え方は人それぞれ。けれど、あの丸型のテロップは感情をひとつの方向に交通整理しようと促してくる。

 また、新しく見かけるようになったテロップでこんなパターンもある。虐待問題を語るコメンテーターの名前の下に「2児の母」とテロップが列記されるのだ。事件に少しでも関係する要素があれば、それを書くという考えなのかもしれない。しかし、独身の子供がいない人だって虐待のニュースは悲しい。だがワイドショーでは「コメントする権利」を得る仕組みとなっている。これも一種の「わかりやすさ」を追い求めた結果なのかもしれない。

 意識して選択していたわかりやすさもあれば、こういった無意識のうちに与えられていた「わかりやすさ」がある。冷静に見つめ直すと「わかりやすさ」ってかなりヘンだ。そんな状態に慣れきった社会に武田氏はこう警鐘を鳴らす。

「わかりやすいこと」と「雑に考えること」って相反するように思えるけれど、この2つは時に共犯関係になる。雑に考える土壌が整えば整うほど、その中で、強い意見、味付けの濃い意見がはびこる。雑にしていくことで培養されていくわかりやすさは、積み重ねられた議論を一気に無効化させる。

 思い当たることが多い内容だ。発信力の強い、アクの強い発言をする人間にスポットライトが当たりやすい状況は、世間が「わかりやすさ」に慣れきっている間に作り上げられたのかもしれない。

 不測の事態が続く今、インパクトが強いものに飛びつく前に「わかりやすさ」で大事な何かが安易にまとめられていないか、自分で少し考える姿勢を意識したくなった。

文=線