本当の物語はここから始まる……? 八咫烏シリーズ3年ぶりの新作にして第二部開幕を告げる『楽園の烏』

文芸・カルチャー

公開日:2020/9/11

楽園の烏
『楽園の烏』(阿部智里/文藝春秋)

 阿部智里「八咫烏」シリーズ、3年ぶりの新作であり、第二部の開幕である。『楽園の烏』(文藝春秋)は、だがしかし、ファンタジー色などかけらも感じさせない、民法における失踪宣告の記述と、“一介のタバコ屋のオッサン”が予期せぬ遺産を相続するところから始まる。

〈山を相続した。〉という冒頭の一文で、シリーズファンの読者は「あっ」と思うことだろう。だが、ここはあえて第一部のおさらいはせずに、紹介を始めていきたい。

 オッサンこと安原はじめは、失踪した父が死亡したものとみなされたのを機に、ある山を相続する。荒れてはいるが立地はよく買い手には事欠かず、向こう100年の維持費も支払える現金つき。遺された〈どうしてこの山を売ってはならないのか分からない限り、売ってはいけない。〉という言葉。そして相続したとたん、誰かから次々と送り込まれてくる山の買取希望者たち。

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 胡散くさいものを感じていたはじめのもとに、現れたのは、“幽霊”を名乗る美しい女だ。〈私はなんとしても、私と、私の大切な人達を殺したものを、この世から滅さなければなりません〉――。不穏な決意とともに女は、はじめを山の“中”へと案内する。その場所こそが、山内と呼ばれる異界。人の形に変じることのできる八咫烏の一族が統治する、山神に支配された世界なのだった。

 山内のことも八咫烏のことも何一つ知らないはじめの視点で物語は進んでいくため、第一部を読んだことのない読者はもちろん、3年ぶりで設定の詳細を忘れてしまった……という読者にも、すんなりと物語に溶け込んでいける仕掛けになっているのが、巧いところ。それでいて、山の権利を得るためはじめをもてなすのが雪斎――第一部の主人公・雪哉なのだから「待ってました!」と膝を打ちたくなってしまう。

 はじめは「売ってもいいと思わせてくれたら売ってやる」と、気が向くまで山内に滞在すること、そして山内の実情を見学することを求めるのだが……。八咫烏にとって最大の敵である“猿”の襲撃をきっかけに、この世界の真実が、はじめと、はじめの世話をすることになった頼斗の目線から暴かれていく。

 初読の方には、雪斎はただ独善的で、傲慢で、いやな奴に見えるかもしれない。だが第一部で、猿たちとの大戦で大事なものを失い、信じてきたものを打ち砕かれ、絶望に堕ちた雪哉を知っている読者は、彼がここに至った経緯に、想いを馳せずにはいられないだろう。そしてかつての雪哉と似たあやうさをもつ頼斗の行きつく先と、ラスト数行にこめられた意味にも。

 ちなみに、ファンタジー小説であることが前面に押し出されている本シリーズだが、第一作は松本清張賞受賞作。その肩書を改めて見せつけるかのように、本作にはさまざまな謎と伏線がちりばめられ、第一部からの回収を行いながらも、初読者を置いてきぼりには決してしない、構成の巧みさもある。本作を続編として扱うのではなく、本作こそが始まりととらえて既刊を“明かされる過去”としてたどる。そんな『スター・ウォーズ』的な楽しみ方ができる新規読者が、ちょっとうらやましい。

文=立花もも