認知症の父の失踪がきっかけで帰郷…『全裸監督』の脚本家が家族の意味を問う――父の不倫でバラバラになってしまった兄妹の家族再生記

文芸・カルチャー

公開日:2020/10/31

されど家族、あらがえど家族、だから家族は
『されど家族、あらがえど家族、だから家族は』(山田佳奈/双葉社)

 年を重ねるたびに、家族とどう向き合えばいいのか分からなくなる。いつしか、友人や同僚よりも顔を合わせる機会が減った両親を思うと、後に訪れる介護が真っ先に浮かんできて憂鬱な気持ちになり、他県に嫁いだ姉は時々、他人よりも遠く思えてしまう。

 一体、家族ってなんなんだろう。ずっと、そんな疑問があったから『されど家族、あらがえど家族、だから家族は』(山田佳奈/双葉社)のタイトルに心を掴まれた。本作はNetflixオリジナルドラマ「全裸監督」の脚本を担当した山田佳奈氏の初となる小説。ここには、不器用な私たちが“家族でい続けるためのヒント”が描かれている。

父親の失踪を機に見つめなおすことになった「家族の形」

 上村准はある日、姉の香織から、ほんの少し目を離した隙に認知症の父親が失踪したとの連絡を受け、帰郷することになった。准の家族は父親の不倫が原因で、ずっと前からバラバラの状態。

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 久しぶりに実家に足を踏み入れると、父との楽しかった思い出とともに、浮気相手との逢瀬に自分を連れて行った苦い過去や、母親が出て行った日の記憶などが鮮明に浮かんできて、胸が苦しくなった。

 それに加え、兄の隼人と香織は以前にもまして不仲になっており、今後の対処を巡っても口論。揉める2人を、准は一歩引きながら傍観していた。兄妹でありながらも、互いを避け合ってきた3人の関係はひとつ屋根の下に集まっただけではたやすく良くならない。だが、そんな“どこにでもいる仲の良くない兄妹”が傷つけ合いながらも家族との関わり方や自分自身を見つめなおしていくからこそ、本作は胸にこみあげてくるものがある。

 物語は准、香織、隼人、義兄…というように視点人物を変えて進んでいく。徐々に明かされていく兄妹へのコンプレックスや家族との付き合い方を模索してきた過去、そして各々が抱える父親との秘密の思い出にはリアリティがある。つい自分の家族に重ね、我が家はちゃんと家族をしていたのだろうかと考えてしまう。

 他人相手ならうまく立ち回れるのに、家族だと過剰に傷つけ合い、修復できないほどの溝を作ってしまいやすい。本作でいうならば、父親に不倫をされて嫌だった、悲しかったという本音のように、近しいからこそ許せないことや伝えられないことだってある。私たちは相手との距離が近くなるほど、不器用になっていく。

 だが、言えない本音はどうしても分かってほしいことと表裏一体。伝えてしまったら、これまでの関係が根底から崩れるかもしれないから口に出すことが怖くなるが、どうしようもない想いを伝える努力をし、心をぶつけ合ってこそ、人は誰かと家族になれたり、互いの過ちを許し合えたりするのかもしれない。私たちは近しい相手にこそ、一歩踏み込む勇気を持つ必要がある。

 思えば、自分も家族とはあまりにも不器用な関わり方をしてきた。一緒に過ごす中でされた嫌なことは、何十年経ってもしつこく覚えている。それなのに、両親や姉が本当はどんな人間で、これまでをどのように歩んできたのかは知ろうともしなかったし、嬉しかったことや悲しかったことを話そうともしてこなかった。こんなにも脆い家族関係を築いてきたことに30年間も気づけなかったなんて情けない。

 でも、きっと今からでも遅くはない。別れを迎える日までには、もう少しだけ時間がある。いつかくる“その日”に後悔しないよう、ちゃんと私も家族をしてみたい。「あらがえど家族だ」と笑えるくらいに…。

 そう思わせてくれた本作は、疎遠になっている家族の見方を変えてくれるし、自分への許しも得られる作品。失踪事件はどんな結末を迎え、家族はどんな絆を見つけたのかも、ぜひ確認してみてほしい。

文=古川諭香