「ディスる」のルーツは江戸時代!? 第一線の校閲記者たちが繰り広げる、新語・造語との格闘の日々

文芸・カルチャー

公開日:2020/11/7

日本語の奥深さを日々痛感しています

著:
出版社:
さくら舎
発売日:
日本語の奥深さを日々痛感しています
『日本語の奥深さを日々痛感しています』(朝日新聞校閲センター/さくら舎)

 まもなく毎年恒例の『ユーキャン新語・流行語大賞』が発表されるとあって、予想を報じている情報媒体が増えてきた。今年は新型コロナウイルスにより、疫病を退けるとされる妖怪の「アマビエ」のほか、新しい生活様式として「ソーシャルディスタンス」や「リモートワーク」といった、これまで馴染みの無かった言葉が次々と現れ、おそらく上位を占めるだろう。しかし、新しい言葉には使い方の基準など定まっていないはずで、文章の誤りや不備を正す“校閲”に携わる人たちは、どのように言葉と向き合っているのか気になり、『日本語の奥深さを日々痛感しています』(朝日新聞校閲センター/さくら舎)を読んでみた。

 本書は、朝日新聞朝刊に掲載されていた『ことばの広場』と後続の『ことばサプリ』を書籍化したもので、43名もの執筆者が調べた言葉の成り立ちや所感が載っているのだが、それぞれ異なる視点を携えた態度で言葉に臨んでいて面白い。ちなみに「サプリ」の項目を読むと、14世紀から使われている英語の「サプリメント(supplement)」を縮めた和製英語で、本来の意味である「補助」や「補充」としてだけでなく、「本の付録や新聞の別刷り、追加料金」などという意味も含んで使われるとあった。

活字メディアの合成語「コロナ禍」

 うっかり「渦」と見間違えて、「コロナうず」と読んでしまった人も少なくない「コロナ禍」のような使い方は昔からあるものの、時代と共に他の言葉に取って代わられたものもあり、「舌禍」が「失言」になったのは記憶に残っているが、交通事故のことを「輪禍」と呼んでいたというのは知らなかった。この「禍」を用いた言葉は、新聞などの活字メディアにおいて「新型コロナウイルス感染拡大の影響で……」などといった、長い書き出しを避けるために造られたそうだ。なるほど、そう云われてみれば私も原稿を書くさいに助かっている。禍と同様に「わざわい」と訓読みする漢字に「災」があるけれど、二つの違いは「災が主に運命による災害を指すのに対して、禍は人間の営みによって引き起こされるものまで含めていう」のだとか。また、禍の字の成り立ちには「わざわいを祓(はら)う儀式そのもの」という説もあり、人々の祈りと営みとで終息させうる希望とも考えられる。

「3密」に見る、「日本語ならではの造語」

 感染を防ぐために広まった「ソーシャルディスタンス(社会的距離)」は、本来は社会学や心理学で使われる用語であり、実際の距離というよりも「人々の間の親密性」を指す。だから動詞の「distance」にingを付けて「ソーシャルディスタンシング」と呼んで「行動」を強調することを提言する人もおり、世界保健機構(WHO)では単に物理的な距離をとる意味として「フィジカルディスタンシング(身体的距離の保持)」と言い換えるようになっている。なんだか横文字の言葉が増えて混乱してしまいそうになるが、吉備国際大名誉教授の新田文輝氏は、避けるべき行動を意味する「3密」(密閉、密集、密接)について、「簡潔で、日本語ならではの造語」と指摘しているそうだ。

「ディスる」は、江戸時代からある造語法

 英語の「disrespect」を縮めて、「軽蔑する、けなす」という意味で使われる「ディスる」のように、外来語や名詞に「る」「する」を付けて動詞にする言い方は、いつ頃からあるのか。文化庁が2013年度に行なった「国語に関する世論調査」によれば、「ディスる」について「聞いたことがない」が73.7%を占めた一方、若い年齢層に限ると3割超が「使うことがある」と答えたという。この調査結果からすると現代風の造語法と思えるが、然にあらず。辞書編集者の神永暁氏の著書に、江戸時代に作られた新語で「ちゃづ(茶漬)る=茶漬けを食べる」という例が挙げられていることを紹介している。とともに、島崎藤村の詩集から「新しき言葉はすなわち新しき生涯なり」を引用して、執筆者は「令和の若者はどんな新語を生むのでしょう」と期待する気持ちを述べていた。

「打ち言葉」は「書き言葉」だけど「話し言葉」?

 話し言葉と区別して、原稿に書くような言葉を「書き言葉」と云い、一般的には話し言葉のほうが「くだけた」印象がある。しかし、今や原稿は手で書くのではなく機器を用いることにより「打つ」ものとなり、2018年に文化庁が出した「分かり合うための言語コミュニケーション」という報告の中では、「『打ち言葉の特性に由来する独特の表記』」なるものが紹介されているそうだ。その報告によると、機器を使用した「打ち言葉」は「書き言葉」の一種だが、OKと表すところを「おk」などと意図的な誤記や誤変換を用いた「くだけた話し言葉的文体」のことを指すとしている。つまり、書き言葉であっても話し言葉の表記ということで、執筆者は「手書き文字に備わる個性を電子メディアでも表現したい思いの表れとも受け取れます」と評している。私などは字が汚いので、その個性を原稿に表すとなったら、ただでさえ読みにくい悪文が、さらに支離滅裂な文章となることだろう。文明の利器、万歳。

文=清水銀嶺

この記事で紹介した書籍ほか

日本語の奥深さを日々痛感しています

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さくら舎
発売日:
ISBN:
9784865812664