依存症の矯正、性格の書き換え、軍事利用も可能に…。倫理観が問われる禁断の脳刺激治療はアリ?

スポーツ・科学

公開日:2020/11/12

闇の脳科学「完全な人間」をつくる
『闇の脳科学「完全な人間」をつくる』(ローン・フランク:著、仲野 徹:解説、赤根洋子:訳/文藝春秋)

 ローン・フランク著『闇の脳科学「完全な人間」をつくる』(仲野 徹:解説、赤根洋子:訳/文藝春秋)は、脳に強烈な電気ショックを与え、人格を変えるという治療法を巡るノンフィクションである。そもそも人間の人格や自我はどのような仕組みでできているのか、という根源的な問いを含むものでもあり、読む者の倫理観を試すような事実が明らかになっている。

 主題となるのは、昨今米国の脳科学界を席巻している脳深部刺激療法(DBS)である。この療法ではサイコパス、依存症、うつ病、てんかん、パーキンソン病、そして小児性愛、性犯罪者さえも矯正ができると言われている。また、軍事の領域で転用すれば、冷徹な兵士を人工的に生み出すこともできるという。諸刃の剣といっていい療法である。

 これだけなら脳科学のトレンドで終わるところだが、本書はDBS研究のパイオニアであるロバート・ヒース博士の実像に迫る。90年代に始まったとされていたDBS研究だが、ヒースは50年代にその先駆けと言える研究に取り組んできた。

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 本書は、この長年忘れられていたパイオニアに執拗なまでに焦点を当てる。まさにマッド・サイエンティストというべきヒースは、1950~60年代にニューオリンズの大学で人体実験を繰り返し、脳科学の内奥に迫った。ただ、その実験や研究は倫理的には数々の問題を孕んでいる。ヒースは患者の頭蓋骨に穴を空け、電極を差し込みデータを採取した。そんな彼の実験は、人倫にもとると非難される一方、その研究が人類の進歩に寄与するものとして、礼賛されることもあった。

 そして、ヒースが行ったDBSが、最近になって薬物で治療できない患者に対する治療法として見直されている。日本では、難治性のパーキンソン病などに対して保険適用まで認められているし、米国ではDARPA(アメリカ国防高等研究計画局)が、戦場で精神を病んだ兵士のために、治療法研究資金を出資している。

 ただ、この本のタイトルで「闇」という言葉が使われている通り、DBSは意図的に性格や性向を悪い方向へ変えることもできる。例えば、恐るべきことには、同性愛者を異性愛者へ作り変えることが可能だともいうのだ。また、暴力行為が一瞬で消えた患者、上限のない幸福感に満たされる患者、うつ病や統合失調症が治った患者もいるというが、使いようによっては危険極まりない禁断の治療法なのである。

 ヒースの博士としての功績や評価は分かれるところだが、彼がいち人間として魅力的だと思えるところも確か。本書は、彼の半生を追った良質な伝記として読むこともできるだろう。彼の人物像に追った箇所は、著者も筆が冴えている印象だ。

 ヒースは1915年生まれで1999年に亡くなっているが、彼の研究に関わった人物や弟子などはまだ存命であり、そうした関係者たちにインタビューが為されていくのだが、これが面白い。インタビューを重ねていくことで、彼の研究の実態、性格や長所と短所、そして彼の為したことが現在の脳科学にいかに接続されるかを検証している。

 ただし、同性愛を病気として治療しようとしていた50~60年代の実験などは、徹底的に監視し、忌避せねばならないだろう。当時は同性愛者を差別する風潮があったが、今は時代が違う。同じ過ちを繰り返さないように注意すべきである。

文=土佐有明