“ふつうの家族”とはなにか? パパになった“元女子高生”による、感動の自伝

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公開日:2020/11/25

元女子高生、パパになる
『元女子高生、パパになる』(杉山文野/文藝春秋)

“ふつうの家族”とはなんだろう? ダイバーシティという概念が広まり、個人がそれぞれに選択する生き方を尊重しようとする動きが盛んになった。人生とは多様なものであり、決まったレールなど存在しないはずだ。けれど、家族の形は、いまだに古い価値観の下で語られることが多い。異性のパートナーと法的につながる結婚をし、血をわけた子どもをつくる。それが“ふつうの家族”とされる。

 でも、こんなにも多様な生き方を選択する人が多い現代において、もはやその考え方には無理があるのではないだろうか。“ふつうの家族”という概念も、どんどんアップデートしていかなければいけないのではないか。

 身をもってそれを伝えている人がいる。トランスジェンダーであり、LGBTQムーブメントをけん引する活動家・杉山文野さんだ。元々、女性の身体を持って生まれた杉山さんは、思春期の頃に性別違和を覚えるようになっていった。2006年に刊行した著書『ダブルハッピネス』(講談社)では、自身のことを家族や仲間にカミングアウトし、“本当の自分”を取り戻すまでを綴ったことで大きな反響も集めた。

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 そんな杉山さんの2作目となる著書が『元女子高生、パパになる』(文藝春秋)だ。本書で綴られているのは、現在のパートナーとの出会い、相手の両親からの猛反対、そしてゲイの友人から精子提供を受け、パートナーとの間に子どもが生まれるまでの半生だ。その語り口はとても柔らかく、まるで居酒屋で杉山さんが笑いながら語りかけてくれているかのような感覚を覚える。しかし、そこに書かれている事実は、とてもつらいことばかりだとも思う。

 特に胸を抉られるようだったのが、杉山さんがパートナーの母親から言われたひとことだ。

“あなたがいい人だなんてのはわかってるのよ! でもそういう話じゃないの。あなたとうちの娘は住む世界が違うのよ。あなたはあなたで生きていけばいいじゃない。お願いだから、うちの娘を巻き込まないで!”

 パートナーの両親は、決して杉山さんが憎かったわけではない。むしろ、彼の活動や生き方は応援していた。それでも、自分の娘が杉山さんと付き合うことで、LGBTQの当事者になることが怖かったのだろう。その気持ちも、理解はできる。ごく“ふつう”の人生を歩んでいくと思っていた娘が、突然、結婚も子育ても不確かな世界で生きていかなければいけなくなってしまった。そのときの絶望感は相当なものだと思う。

 では、杉山さんが悪いのか? 決してそうではない。杉山さんのようなLGBTQが「愛する人と“ふつうの家族”になりたい」と願うことを許容しない社会に問題があるのだ。既存の家族の形には収まりきらない人たちがいるのであれば、その形を柔軟に変えていくべきなのに、いつまで経っても社会はなかなか変わろうとしない。

 ただし、杉山さんは諦めなかった。どれだけ反対されても愛を貫き、パートナーと家族になる道を模索する。その過程でたくさん傷つけられた。自死する仲間を見て、絶望することもあった。それでも、杉山さんは歩みを止めず、最終的には愛するパートナーとの間に子どもをもうけ、新しい時代の家族の形を提示した。彼がいまどんな気持ちでいるのかは、帯に映る笑顔を見れば一目瞭然だろう。

「30歳で死のうと思っていた」と語る杉山さんは、本書のあとがきで未来への想いを口にしている。

“自分の未来のため、そしてこの子の未来のために、パパはまだまだ走り続けます”

 社会に蔓延る偏見や壁に何度もぶつかり、手探りで状況を少しずつ変えてきた。それは自分のためであり、同じように悩むLGBTQ、あるいは社会的マイノリティのためだ。そして杉山さんの地道な活動は、次世代を生きるすべての子どもが“自分らしく”生きる未来へとつながっていくのだろう。

 元女子高生がパパになるまでの道のりを赤裸々に綴り、社会に“考えるきっかけ”を与えてくれた杉山さん。一人でも多くの人が彼の『元女子高生、パパになる』を手に取り、“ふつうの家族”とはなにか、そもそも“ふつう”とはなにかを考えてもらえるといいな、と思う。そうなれば、社会は少しずつ変わっていくはずだから。

文=五十嵐 大