芥川龍之介の「唯ぼんやりした不安」の正体とは? 早逝の文豪と大往生の文豪…死に際から私たちが得られるヒント

文芸・カルチャー

公開日:2021/1/6

文豪の死に様
『文豪の死に様』(門賀美央子/誠文堂新光社)

 生真面目な人ほど責任感が強くてストレスを溜め込みやすく、うつになりやすいという意見がある。そして私たちはいわゆる文豪たちに対して、生真面目な人というイメージをもちがちではないだろうか。作品に対して生真面目すぎるほど生真面目で、自らを極限まで追い込み、精神が崩壊していく。そして、病死や自死などで早逝する。文学好きな人なら、芥川龍之介、太宰治などの文豪がしぜんと思い浮かんだはずだ。

 しかし、「文豪は早逝するもの」というのは思い込みだ。『文豪の死に様』(門賀美央子/誠文堂新光社)は、誰もが知る文豪たちの早逝…例えば、夏目漱石は49歳、芥川龍之介35歳、太宰治38歳、樋口一葉24歳などの名前を挙げる一方で、永井荷風79歳、幸田露伴80歳、志賀直哉88歳、井伏鱒二に至っては現代でも長命な95歳まで生きて自然な老衰死を遂げた大往生の文豪たちの名前を並べる。興味深いのは、前者の文豪の中では芥川と太宰が当てはまるが、自死した文豪は決断に至った心情をうかがわせる小説や随筆を書いていることが多く、後者の老衰で死に至った文豪は絶筆と絶命の間にしばしの時間が空いている場合があるという、本書の分析。本書は、文豪たちの死に際からその人生や作品をより深く、多角的に詳察しようと試みている。本記事の以下では、現代にも通用する部分があると思われる自死で早逝した文豪と、老衰で世を去った文豪を本書からひとりずつ、ごく簡単に紹介したい。

 自死の文豪は、芥川龍之介だ。自死は現代の社会問題のひとつだ。自死を考えたことがない人は、きっと自死を選ぶ人の気持ちはわかりにくい。芥川は存命時から文学界のスターであり、所帯持ちだった。鳴かず飛ばずの作家や、孤独な庶民から見れば、多くをもっていたアイドルともいえる。芥川は、『或旧友へ送る手記』の中で、こう綴っている。

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「僕はこの二年ばかりの間は死ぬことばかり考えつづけた」

 これは、心の中で思っていただけではない。芥川は態度に表す、しばしば口に出す、さらには試行もしていた。そして、

「何か僕の将来に対する唯ぼんやりした不安である」

 という有名な言葉を遺して自死する。芥川は同手記の中で、動機をいくつか匂わせている。生活難、病苦、精神的苦痛など。しかし、これが全てではないはずだ、と本書は考察する。芥川は言葉のエキスパートだ。その文豪が、自死の動機を「ぼんやりとした不安」という曖昧な表現しかできないはずはない。本書は、不安の核となったのは「自己の創作力への不安」だと考える。しかし、芥川は文豪である。文豪の自尊心が、それを認めることはできない。だからこそ、あらゆる死の理由を開陳してまでも、本当の核は覆い隠そうとした、というのだ。不安は時間を経て自己増幅する。やがて精神崩壊を起こして自死した、と本書は推察している。現代は「ぼんやりとした」自死の影はすぐ隣に忍び寄りやすい。晩年の芥川作品から、その不気味さ、恐ろしさが感じられるかもしれない。

 紹介するもうひとりは、大往生した永井荷風。本書では、「偉大なる孤独死の先駆者」と評されている。永井は、日本文学を語る上では欠かせない人物だが、教科書にはあまり載らない。学校では教えづらい男女の情や欲が渦巻く世界を描いた文豪だからだろう、と本書は述べる。永井は実生活も自由奔放で、嫌なことはせず、好きなことだけをして生きた。そんな永井は、79歳で独居死する。発見時、部屋は不潔で乱雑、誰にも看取られずに逝去したことから、世間は「これ以上侘しい死はない」と、憐憫と侮蔑の目で老文士を見た。しかし、本書は、永井にとってみれば、満足な死だったと考える。現代に戻って2年前の2018年、独立行政法人経済産業研究所は、あるアンケートを行った。それによれば、日本人の幸福感に与える影響力は、所得や学歴よりも「自己決定」ができるかどうかによるという。嫌なことはしない、好きな人だけと付き合う、仕事も自分で選ぶ、気に入ったものだけを手元に置き、嫌になったらさっさと捨てる。そんな永井が自分を不幸な身だと感じたはずがなかった、というのだ。永井は「ぽっくりと死にますぜ」と周囲に宣言しており、本当にそのとおりになった。絶筆は、遺体が見つかる前日に見つかった日記の一行。

「四月廿九日。祭日。陰(※「くもり」のこと)。」

 死ぬまで続けると決めていた作家業を全うして、逝った。2040年の日本は、単身世帯が全体の4割近くになるという試算があるそうだ。独居老人の孤独死もまた社会問題のひとつに挙げられているが、永井作品から、ネガティブだけではない孤独死の側面も垣間見られるかもしれない。

 本書は、「死に方を考えることは生き方を考えること」と述べる。人は必ず死ぬ。重厚な人生を送ったであろう文豪の死から、私たちの生をより輝かせるヒントが得られるかもしれない。

文=ルートつつみ(https://twitter.com/root223

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