現代人とそっくり! 文藝春秋創設者・菊池寛が、100年前のスペイン風邪流行下に感じていたこと

文芸・カルチャー

更新日:2021/1/22

マスク スペイン風邪をめぐる小説集
『マスク スペイン風邪をめぐる小説集』(菊地寛/文藝春秋)

 年始の出版広告の中で一際目立っていたのは、文藝春秋の広告だろう。そこに使われていたのは、文藝春秋創設者で小説家の菊池寛の写真。なんとコロナ禍の現代人と同じように、マスクをしている姿なのだ。おまけに、菊池は、「マスク」という掌編を発表している。ちょうど100年前、世界は、スペイン風邪の猛威に襲われていた。掌編「マスク」は、スペイン風邪流行下の実体験をもとに描かれた作品なのだそうだ。同作は『マスク スペイン風邪をめぐる小説集』(菊池寛/文藝春秋)に収載されているが、そこに描かれているのは、コロナ禍の現代人と変わらない人間の姿。コロナ禍の今だからこそ強く共感させられる。

マスク スペイン風邪をめぐる小説集

「マスク」で描かれている主人公は、おそらく菊池寛自身なのだろう。主人公は、恰幅が良くて一見丈夫そうだが、実は人一倍内臓が弱い。心臓も肺も胃腸も脆弱。医者からは、「流行性感冒にかかって高熱が続いたら、もう助かりっこありません」とまで言われてしまう始末だ。そのため、ひとたびスペイン風邪が流行すると、うがいやマスクで感染予防を徹底。毎日の新聞に出る死亡者数の増減によって、一喜一憂する日々を過ごしていた。

自分は、極力外出しないようにした。妻も女中も、成るべく外出させないようにした。そして朝夕には過酸化水素水で、含漱をした。止むを得ない用事で、外出するときには、ガーゼを沢山詰めたマスクを掛けた。そして、出る時と帰った時に、叮嚀に含漱をした。

 スペイン風邪に怯える主人公の姿は、新型コロナウイルスに悩む現代人そのもの。だが、その緊張感も長くは続かない。感染症に人一倍怯えていた主人公だが、暖かい季節になると、スペイン風邪が再流行しているというニュースを気にかけつつも、マスクをつけるのをやめてしまう。そして、5月半ば、黒いマスクをしている男を見かけた時には、その男に不愉快さを覚えてしまう。自分もマスクをつけていたはずなのに、「突き出て居る黒いマスク」に「いやな妖怪的な醜くさ」さえ感じてしまう。この時、主人公が感じた憎悪を、今の私たちなら理解できてしまうのではないだろうか。自分と同じグループを肯定し、違うグループを憎悪し、否定してしまう。今の私たちだって感じてしまいがちなそんな気持ちを菊池はありありと描き出している。

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「病気を怖れないで、伝染の危険を冒すなどと云うことは、それは野蛮人の勇気だよ。病気を怖れて伝染の危険を絶対に避けると云う方が、文明人としての勇気だよ。誰も、もうマスクを掛けて居ないときに、マスクを掛けて居るのは変なものだよ。が、それは臆病でなくして、文明人としての勇気だと思うよ」

 文庫の解説を担当した作家の辻仁成は、この一節に出会った時、思わず、「はぁ、菊池先生」と唸らずにはおれなかったという。解説によれば、この文章は、トランプ前大統領がマスクをせずにホワイトハウス中を歩き回っていたことへの皮肉か予言と思ったほどで、さらには、フランス人がパンデミック以前にマスクを離さない日本人を笑いのネタにしていたことを思い出させるという。確かに、この作品は、コロナ禍の現代人と重なる部分があまりにも多い。

菊池寛は面白い。彼は小説家というよりも経営の能力もまた高い人だったと思うが、優秀な経営者というのは予言者であり、先見のある人なのである。(解説・辻仁成より)

 過去の作品だというのに、まるで今の世の中を描いているよう。人の心は変わらないということなのか。それを巧みに描き出した菊池寛の名作を、今こそ、読んでみてほしい。

文=アサトーミナミ