特殊清掃の現場から見えてくる、「死にざま」と「生きざま」――孤独死のない社会を目指して

社会

公開日:2021/2/4

事件現場清掃人 死と生を看取る者
『事件現場清掃人 死と生を看取る者』(高江洲敦/飛鳥新社)

 人の死はいつ、どんな形で訪れるか分からない。たとえばアパートで一人暮らしをしている人が自室で突然死した場合、その亡骸は、しばらくの間誰にも気づかれずに室内に横たわっている可能性もある。

 殺人事件、死亡事故、自殺、病死…。住居で人が亡くなり、放置されると、その部屋の様相は凄惨をきわめた状況となる。人間の亡骸はほんの数日で腐敗をはじめ、時間が経過するにつれ、その体液が床に染み込んだり、部屋の中に大量の虫が湧いたりしてしまう。本稿では、そのような普通のクリーニングでは手に負えないような状態になってしまった事件現場を清掃し、再び人が住める状態にまで復旧させるプロフェッショナル、「事件現場清掃人」の書籍を紹介したい。

『事件現場清掃人 死と生を看取る者』(高江洲敦/飛鳥新社)の著者、高江洲さんは、2010年に刊行された前著『事件現場清掃人が行く』(飛鳥新社)や、フジテレビ『ザ・ノンフィクション』への出演でも有名な、いわゆる「特殊清掃」の第一人者である。前著の発刊から本作に至るまでの10年間、日本社会は、東日本大震災、SNSの発達と無縁化、そして新型コロナ禍による先の見えない不安などを経験した。それに伴い、日本人の「死」をとりまく状況も変化してきているのだという。

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死に方とは同時に生き方であり、死を語ることは生を語ることです

 これまでに3000件以上の特殊清掃を行ってきた著者は、「その一つひとつが、まるで鏡のように、私たちの生きる現代社会の真実の姿を映し出しているように感じるのです」と語る。

 空き家の一室に住み着いた果てに亡くなった身元不明の「行旅死亡人」、バブルの遺産であるリゾートマンションで相次ぐ単身高齢者の孤独死、生活が不摂生になりがちな独身中年男性の孤独死、介護で追い詰められた高齢親子の心中、精神疾患を抱えながらも周りに助けを求められなかった人の自殺など、本書で取り上げられている清掃現場は、確かにいまの日本の世相を色濃く映し出している。

 特殊清掃の現場には、遺体から染み出た血液や体液、それに導かれ増殖した虫が付き物である。しかしそれら以外にも、箪笥の奥に大切にしまわれていた写真や、思い出の品物、はたまた部屋中に積み上げられた酒の空き瓶やコンビニ弁当の容器など、故人の人生や日常生活の痕跡が克明に残されているのだという。

 本書で挙げられる「死に方」は、私たちや社会全体の「生き方」を語る上では欠かせない。所得格差や無縁社会化などといった問題を浮き彫りにする故人の部屋は、多くのメッセージを与えてくれる。

 著者は故人が生前に困っていた状況や、ささやかな日常の様子などを、部屋に残された状況から想起し、描き出す。著者が挙げた例の中で印象強かったのが、「孤独死した人の部屋には、先に亡くなった同居人のお骨がそのまま置かれていることが多い」というものだった。

 孤独死の背景には、周囲や親族からの孤立、貧困、人間関係の悩み、精神疾患など、なんらかの困難を抱えていることが多い。まず同居家族が亡くなり、その遺骨をお墓や納骨堂に永代供養するための金銭的な余裕がなく、頼れる親族のないまま、お骨は机の上や押し入れに置いたままにされる。そしてやがて遺された家族もひっそりと孤独死してお骨になってしまうという、死の連鎖とでも言うべきケースは意外と多いそうだ。

 実に多くの「死にざま」を目の当たりにしてきた著者は、彼らから多くの「生きざま」を学んできたのだという。本書では、誠実に仕事に取り組み、真摯に故人と向き合ってきた著者の気持ちが、次のように綴られている。

 特殊清掃を行うことで遺族や大家の困りごとを解決し、その正当な対価を受け取ることには、プロフェッショナルとしてなんら後ろめたいことはありません。また、現場がどれほどひどく汚れていても、そんなことはなんら問題ではありません。
「この世の始末を請け負う」という私の仕事の真の依頼者は、亡くなった本人です。特殊清掃や遺品整理を通して、故人が生き、死んでいった背景を知り、そこからさまざまなものを受け取ります。私はいわば、故人に生かされているのです。その恩を、一体どうやって返していけばいいのでしょうか?

 著者はその答えとして、自身が受け取った返しきれないほどの恩を次の世代に送る、「恩送り」を始めた。彼が特殊清掃で担当してきた案件の中には、子を遺して自ら命を絶った故人も多くいたそうだ。その度に彼は、遺された子どもたちの悲哀に触れ、その子の今後の人生を思い、いたたまれない心情を抱え続けてきたのだという。そこで彼は、「人の不幸の上に成り立つビジネス」によって得た正当な報酬の「出口」として、そして彼自身の生きざまとして、児童養護施設の創設を計画している。この施設では、親を失った子どもたちの自立をサポートするためのビジネス教育などを行う予定であるという。

 人の死。それも孤独死や自殺、事件などといった死の現場を紹介している本書の内容は、一貫して重たいものだ。そしてそれらは、単に一般人が普段見られない業界の出来事を紹介するだけに留まらず、人間の悲哀、この社会の不条理、人間関係の在り方など、私たちが生きていく上で大切なことを考えるためのヒントを与えてくれるものであった。机上のきれいごとではなく、膨大な数の故人の「死」と真っ直ぐに向き合ってきた著者だからこそ綴ることのできる強いメッセージに、何度も何度も、強い衝撃を受けた。

「より良い社会にしたい」と思ってはいても、実際私たちに何ができるのだろうか。私は、まずは「ありのままの事実を知ること」が何よりも大切なのではないかと思う。その点においても、本書をひとりでも多くの方にすすめたいと感じた読後であった。

文=K(稲)