芥川賞候補作、コロナ禍×ロードノベルが示す人生という旅の指南書『旅する練習』

文芸・カルチャー

公開日:2021/2/19

旅する練習
『旅する練習』(乗代雄介/講談社)

 コロナ禍が長引く中、漠然とした不安に押しつぶされそうな日々を送る人は少なくないと思う。変わってしまった日常に心をなじませるのは難しい。でも、もしも周囲の変化なんて気にならないくらいの目標や夢があれば、この時代への印象も違ったかもしれない。

『旅する練習』(乗代雄介/講談社)が描くのは、新型コロナウイルスの影響が出始めた頃の関東だ。亜美と叔父の旅も、臨時休校の期間を持て余したことがきっかけで始まる。

 亜美はサッカーに夢中な小学六年生。細かいことは気にしない活発な女の子だ。日ごろから亜美のサッカーの練習に付き合う小説家の叔父は、亜美がある目的のために鹿島に行きたいと望んでいるを知る。中学校入学直前の三月、コロナ禍で思わぬ休暇を得た亜美に、叔父は我孫子から鹿島へ歩く旅を提案。亜美はサッカーのドリブルを練習しながら、そして叔父は言葉で風景を書く“スケッチ”をしながら、五日間かけて利根川沿いを歩く。

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 物語は二人の何気ないやりとりと、言葉のスケッチを中心に進む。また、小説家の叔父の知見から語られる各所にまつわる文学作品や小説家のエピソードは、旅に奥行きを与える。そして何より作品を豊かにしているのは、亜美の感性だ。

 亜美は叔父の知識に対する関心は薄いけれど、道中の感動と自分の夢を重ね、サッカーボールを通じて自分と向き合い続けている。サッカー選手になりたいと願い、楽しみながら練習を続ける彼女の強さや朗らかさは、まぶしいくらいまっすぐだ。

 読者が亜美に対して抱く感情を代弁してくれるのが、旅の道中で出会う大学四年生のみどりという女性だ。みどりは親の敷いたレールに沿って歩いてきて、今春からの就職先も決まっている。明確な意思や夢がないことに劣等感を抱くみどりは、ひたすらサッカーの練習に打ち込み、屈託なく自分の夢を語れる亜美に羨望のまなざしを向ける。

 偶然にも目的地が同じだったことから、三人は鹿島を目指して歩く。道中で亜美とみどりは交流し、互いを好きになっていく。やがて来る別れを惜しみながら、今しか体験できないものを共有し、忘れられない仲を築いていく二人の姿が、叔父のあたたかな視点で描かれる。

 ときに寄り道をしながら、目的地に向かって一歩ずつ進む。自分と向き合い、想いを言葉や行動に表してみる。偶然の出会いに感謝して、その出会いから未来を描く。そこに大きなドラマはないが、歩いているだけで人は少しずつ成長している。

 叔父の言葉が紡ぐ亜美の旅は、まさに人生そのものだ。亜美はサッカーボールを蹴りながら、この旅を「あたしの練習の旅」と称するが、この旅こそが表題の『旅する練習』、つまり生きる練習なのだろう。

 この旅を通じて亜美が見つけるもの、みどりが選ぶ答え、そして叔父が気付くこと。それらすべてが、コロナ禍で惑う私たちへのメッセージだと感じた。今は新しい発見にあふれた旅をすることさえ難しい時代だけれど、命が続く限り、私たちは何かに出会い、歩き続けることができる。私もまた、この本を通じて旅する練習を始めたところだ。亜美のようなみずみずしい感性で、日々目に映るものや自分自身と向き合いたい。

文=宿木雪樹