人の死が見える能力を持つ少年。成長していく過程で彼はどんな答えにたどり着くのか

文芸・カルチャー

公開日:2021/2/27

今夜、もし僕が死ななければ
『今夜、もし僕が死ななければ』(浅原ナオト/新潮社)

 自分はなんでこんな自分で生まれてきたのだろう。自分が他の人とは違うような感覚や、周りに溶け込めないという寂しさを感じるときに、そんなことを思う気がする。『今夜、もし僕が死ななければ』(浅原ナオト/新潮社)は、少年が自分独自の感覚(能力?)をどう扱っていくかを描いた、成長と青春の物語。しかし、青春といってもキラキラした明るいものではない。暗くて蒼い風合いの青春だ。

 14歳の男子中学生・遥(はるか)は、もうすぐ死ぬ人がわかる。もうすぐ死ぬ人の胸には、「海」が見えるからだ。第一章は末期癌で入院した中年男性が一人称となっているのだが、そこに三人称として登場する遥は、「波打つ水の塊のようなもの」という言い方で、自分の特殊な能力を説明している。「死神」と罵声を浴びせられることがあるにもかかわらず、凛とした態度で「あなたはもうすぐ死にます」と告げる遥。見えても黙っていればいいのに、どうしてそんな面倒なことをするのだろうか。

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 どうやら遥は、自分の能力を生かして人のためになることをしたいと思っているらしい。しかしというか、やはりというか、「死が見える」能力を上手に使うというのは至難の業。重いし暗いのだ。だから、周囲の人たちとのかかわり方も、どこか希薄で危なっかしい。5章まで、そんな遥の24歳までが綴られている。大人になっていく過程で、自分の特殊な能力を自身がどう捉え直していくのか。この成長が、読む者の心を、切なくも温かくしてくれる。

 また、章ごとに映画のタイトルが付けられているので、その作品を観直してみるのもいいだろう。観たことのない映画タイトルだったら、名作を知るいいチャンスだ。例えば、先に出した第一章は、『いつも2人で』。1967年のオードリー・ヘプバーン主演の映画だ。オードリーは知っているが、このタイトルは知らないという人もいるのではないだろうか。もちろん、小説自体は映画の知識がなくても読める物語になっているが、映画と各章に出てくる登場人物との二重奏は、さらに物語の味わいを深くする。時間のある方は映画もぜひ。

 人の死が見えるなんて非現実的と思うかもしれない。しかし現実でも、人の感覚や能力は当人限りの唯一のものであるがゆえに、誰しも他人には理解されにくい辛さや、あやうさには共感できるに違いない。自分独自のものにこだわりすぎるのも嫌だ、そうかといって、自分独自のものを無視してしまうのも苦しい。さて、この作品にはどんな結論が待っているのか、それはエンドロールまでのお楽しみだ。

文=奥みんす

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