『星の王子さま』のサン=テグジュペリは、なぜ空を飛ぶことに固執し、あのような最後を迎えたのか?

文芸・カルチャー

公開日:2021/5/27

最終飛行
『最終飛行』(佐藤賢一/文藝春秋)

 宮崎駿がもっとも影響を受けたのは、『星の王子さま』の著者として知られるサン=テグジュペリだという。学生時代、ことのほか愛読した『人間の大地』(新潮文庫)の新装版にはカバーイラストを描きおろし、巻末解説で以下のように語っている。

〈人類のやることは 凶暴すぎる。(略)空を飛びたいという人類の夢は、必らずしも平和なものではなく、当初から軍事目的と結びついていた〉

 サン=テグジュペリもまた、第二次世界大戦下においてはフランス軍所属のパイロットとして空を飛び、年齢制限のため退役したあともみずから志願し偵察飛行を続け、1944年、地中海空上で消息を絶った。

 いったいなぜサン=テグジュペリは、それほど空を飛ぶことに固執したのだろう? 作家として十分すぎるほどの名声を、すでに手に入れていたにもかかわらず。そしてなぜ、宮崎駿のいうように〈「世界は蟻の塚だ」と書き遺して、ほとんど自殺同然に地中海上で消えていった〉のだろう? その謎にこたえてくれるのが、サン=テグジュペリの半生を描きだした佐藤賢一の長編小説『最終飛行』(文藝春秋)だ。

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 物語を理解する前に、まずは当時の世界情勢を頭に入れておく必要がある。1940年、ナチス政権下のドイツ軍に敗北したフランスは、独仏休戦協定を締結。遷都先の名を冠したヴィシー政権はドイツの傀儡と反発を受け、自由フランスを標榜する将軍ドゥ・ゴール派も誕生した。このときアメリカに亡命したサン=テグジュペリは、フランス復権を願うという意味では反ヴィシー派なのだけど、ドゥ・ゴール派とはスタンスが異なるため、どちらからも疎まれるという複雑な立場に追いやられていく。『夜間飛行』や『人間の大地』の刊行によってすでに作家としての名声が高く、公に発言する機会も多かった彼は、よくも悪くも注目を浴びる存在だったのである。

 祖国を深く愛し、賢く、作家としてもパイロットとしても才能があったために、常に理想と現実の狭間で苦しめられてきたサン=テグジュペリ。『星の王子さま』の執筆は、面倒な立場に嫌気がさしていた彼のらくがきに、ニューヨークの編集者が目を留めたことから始まった。いつの頃からか無意識に描いていた「小さな王子(プチ・プランス)」のイラスト。サン=テグジュペリの半身であり、守護天使である王子を主人公に子供向けの絵本を描いてみたら、塞いだ気分も少しはよくなるのではないかと。その提案を受け、乗り気になったサン=テグジュペリは、編集者にこう返す。

 経験してみないと分からないと思いますが、子供になるってね、人に優しくなるってことなんですよ。そのときだけは純粋にね。

 これこそが、著者の導いた『星の王子さま』の核であり、サン=テグジュペリの本質ではないだろうか。

(あなたは)王子なの。素敵なくらいに我儘なの。高い理想を求めてしまうのも、そのためね。うまく受け入れてもらえなくて、そのたび傷ついてしまうのも同じこと。

 と、ある女性がサン=テグジュペリに告げるシーンがある。

 サン=テグジュペリは、星の王子さまと同様、繊細ゆえに我儘だった。その影響をもっとも受けたのが妻のコンスエロで、いくらなんでもあんまりではないかという言動を、冒頭からサン=テグジュペリは彼女にくりかえす。だが『星の王子さま』を描くことになった彼が、はじめて彼女に真正面から向き合ったとき。王子さまの慈しんでいた薔薇にこめられた想いが、サン=テグジュペリのそれと重なったとき――。ああ、なぜこの瞬間が、幸せが、永遠に続かなかったのだろうかと胸が締めつけられる。その後、みずから戦地に戻ることを決断したことも、なぜあのような最後を迎えたのかも、物語の積み重ねによって、とてもサン=テグジュペリらしいと感じさせられてしまうから、なおさら。

 もちろん、これはフィクションだ。本当のところはどうだったかなんて、誰にも分からない。けれど――。〈これは、私にとって世界で一番美しくて一番悲しい光景です〉。『星の王子さま』のその一節が、読後の心に、静かに響く。

文=立花もも

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