「知らない女に家に入り込まれ、キッチンを牛耳られるなんて」──認知症を“介護される側”から描く『全員悪人』

文芸・カルチャー

公開日:2021/6/1

全員悪人
『全員悪人』(村井理子/CCCメディアハウス)

 若いころは余裕だった徹夜どころか夜更かしさえできなくなって、さすがに将来が気になりはじめた。70歳くらいまでは働きたいが、いつまで元気でいられるものか。不慮の事故に遭ったり、重篤な病気にかかったり……そうだ、体が元気でも、認知症になる可能性だってある。自分がそうなるだけでなく、親きょうだいに介護が必要になる場合もあるだろう。そんな想像をしたときに、また、まさにそのような状況の渦中にある人に、ぜひ手に取ってほしい本がある。『兄の終い』(CCCメディアハウス)で不仲だった兄との永遠の別れを書いた翻訳家でエッセイストの村井理子さんによる、新しい切り口の“家族”の物語――事実に基づいて書かれた書籍、『全員悪人』(CCCメディアハウス)だ。

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 知らない女が毎日家にやってくる。ずかずかと玄関から上がり込んで、大きな声で挨拶をしたかと思ったら、勝手にキッチンに入っていく。(中略)
 私には居場所がない。
 女が来ると居場所がない。(中略)
 知らない女に家に入り込まれ、今までずっと大切に使い、きれいに磨き上げてきたキッチンを牛耳られるなんて、屈辱以外の何ものでもない。

 主人公の「私」は80歳。夫と息子に不自由な思いをさせないよう、60年ものあいだ完璧に家事をこなしてきた。ところが最近、知らない女たちが入れ替わり立ち替わり我が家に現れて、私の城であるキッチンを占拠するのだ。夫は料理を作る女たちを見て、うれしそうに「ありがとう」などと言う。私がいくら料理をしても、お礼なんて言わないくせに。私にはわかる。夫は、彼女たちのうちの誰かとつきあっている。いい年をして、ご近所の人に知られたらどう思われるか……辛抱たまらず、私は息子の嫁に聞いた。あの女たちはいったい何? 嫁は答えた、「お母さん、あの人たちは、お父さんとお母さんの生活を支援してくださっている女性たちなんです。介護のプロなんですよ」。

 超高齢社会に突入したこの国では、介護や親の看取りについて書かれたエッセイをよく目にする。そのなかでも本書が新しいと言えるのは、「介護される側」の視点から書かれているからだ。何度紹介されたとしても、記憶障害が生じていれば、ヘルパーさんは「知らない女」だ。車の運転も、買い物先での支払いも、これまでは完璧にこなせていたことがおぼつかない。自分の行動に夫や周囲の人は苛立ち、ため息をつくようになる。信頼できると思った人は「悪人」で、外出先では自分のいる場所さえわからなくなる。その悔しさ、孤独、悲しみや恐ろしさはいかほどか。

 認知症を患う家族との対話から、本書を書き上げた著者は言う。「老いるとは、想像していたよりもずっと複雑でやるせなく、絶望的な状況だ」。しかし老いは、すべての人間に容赦なく降りかかる。認知症の「私」の一人称で進んでゆく物語は、「老い」を“他人”の物語ではなく、“自分”の物語として読ませてくれる。本書は、自分が、家族が、大切な人が老いて認知症になったとき、またそうなる前に、視野と心を広く持つ手がかりとなるに違いない。

文=三田ゆき

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