「エキゾチックな美少女にはかなわない」元角川書店代表取締役・井上伸一郎氏が語る! 次世代ラブコメの大本命『時々ボソッとロシア語でデレる隣のアーリャさん』

小説・エッセイ

更新日:2021/9/2

 その誕生から30余年。ライトノベルは流行のジャンルを時代に合わせて輩出してきた。ファンタジー、SF、学園もの、ミステリなど既存の文芸ジャンルに存在した領域を、ライトノベルというフィルターで濾過して、独自に開花させた作品は数多い。2010年以降は異世界転生もの、異世界ファンタジーが、日本だけでなく全世界的なムーブメントになっている。単に流行という言葉を超えて、このジャンルはすでに普遍的な存在価値を確立した、と言っても過言ではない。

 しかし不動のジャンルが現れれば、必ずそのカウンターとなるジャンルが台頭してくるのもサブカルチャーの宿命である。はたして「異世界もの」のカウンターとなったのは、ティーンエイジャーの日常を描く「ラブコメ」という(サブカルにおいては)古典的ジャンルであった。ライトノベルの「異世界もの」が、小説やTRPG、ヴィデオゲームなどにおけるファンタジー世界の「お約束」をメタ化することにより読者の共感を勝ち得たのと同様に、近年のライトノベルも古今の「ラブコメ」のテンプレートを巧みに吸収して、読者の興味にドライブをかける流れを確立した。

 現在のところライトノベルにおける「メタ化したラブコメ」の最も成功した例が、今回推薦する『時々ボソッとロシア語でデレる隣のアーリャさん』(著・燦々SUN、イラスト・ももこ)である。

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 私は職業上KADOKAWAの出版物の日々の売り上げをチェックしている。話題作や重点作品が予定通り売れているか。無名の著者だが目立った売れ行きを示す作品はあるか。気になる動きをする作品は営業に力を入れて店頭を強化するよう指示したり、メディアミックスの仕掛けをいち早くスタートさせたりするために、このルーティンは不可欠だった。

 今年3月、突然ノーマークのタイトルが目に飛び込んできた。賞を獲得していないライトノベルの初速としては驚異的な伸びを示している。それが「アーリャさん」だった。

 編集担当者によれば、ブームになっている「ラブコメ」ジャンルのなかで独自性を出しつつ普遍性を勝ち取るために相当に知恵を絞ったという。なんといっても担当編集者の慧眼は「ヒロインをロシアの血を引く少女に設定したこと」に尽きる。近年ヒットした美少女アニメではロシア少女が人気を得ることが多く(『ガールズ&パンツァー』『ストライクウィッチーズ』など)、かたや人気声優・上坂すみれさんのプロパガンダにより、アニメファンにとって「ロシア人の美少女」という存在はテントポール化したキャラクターになっていた。にもかかわらずライトノベルの「ラブコメ」ジャンルのヒロインにはまだロシア人が存在しない。ライトノベルの読者は比較的「背が高くスタイルのいいヒロイン」を敬遠しがちな傾向があるが、ロシアの血をひくアーリャならこの設定も自然に受け入れられる。編集者の知恵と情熱が導いたヒットである。

 著者の燦々SUNさんは長編を書くのが初めてとは思えないくらい構成が上手い。ダイアログのテンポもいい。容姿も成績も突出したものがない主人公・政近が、なぜ美少女ヒロイン・アーリャの心をとらえるのか。読み進むうちに「なるほど」と思わせる仕掛けがある。「ラブコメ」の大いなるパラドクス=「主人公の男は平々凡々なキャラクターでないとマスの男性読者の共感を呼べない>しかし主人公が複数の美女からアプローチされてハーレム状態(男主人公をヒロインたちが奪い合う)にならないと話が盛り上がらない>どうして容姿端麗・成績優秀なヒロインたちが平凡な男主人公に夢中になるのか説明がつかない。」という命題をクリアするために「ラブコメ」の創作者たちは日々悩むのだが、燦々SUNさんは嫌味なしにこの難題をクリアしている。

 ヒロインのアーリャはクラスで隣の席の政近にわからないように時々ロシア語で政近に対する愛慕をつぶやく。(作品タイトルの絶妙さよ!)実は政近のロシア語のリスニングはネイティブレベルで、アーリャの本心はダダ漏れ。いくらロシア語だからって心の声をこれだけ聞かせるのってアーリャは「精神的露出狂」なのでは?と疑ったりする。このあたりのふたりのやり取りが、読む者の心をくすぐって止まない。

 そう。この作品の水底には、静かだがはっきりとしたフェティシズムの水脈がある。政近に対するアーリャの無邪気な挑発や、やりすぎた行為を悔いる自己嫌悪などの思春期の身もだえするような心の揺れ。完璧美少女でありながら、ロシア語での独り言を含め、かすかにフラッシャーの気があるアーリャのどこか危うい一面が、ライトノベルのヒロインとしての新しさだ。明るい性格の中にもほのかな妖しさを感じさせ、大きな魅力になっている。

「アーリャさん」のルーツとして、ウラジーミル・ナボコフの『ロリータ』や谷崎潤一郎の『痴人の愛』を持ち出すと、多くの読者は「おいおい、ライトノベルを語るのにおおげさな!」と呆れられるかもしれない。しかし、こうした文豪たちが生み出した「エキゾチックな美少女にひれ伏す男たちの物語の系譜」は今なお姿を変えて、私たちの前に現れるのだと私には感じられる。『痴人の愛』のヒロイン・ナオミは主人公の日本人男性から見て「日本人離れした美少女」であり、『ロリータ』のヒロイン・ドロレスはパリで生まれ欧州で育ったハンバート・ハンバートにとって「異郷である新大陸の美少女」だった。新天地への憧れ。異邦の民への届かぬ想い。薄皮の向こうにある未知なるものを知りたいという欲求。そんな漠然とした渇望が、時として美少女のかたちをまとって私たちの前に現れる。そして心をもてあそび、翻弄する。そんな物語の系譜が、たしかに現代にも存在するのだ。

 難しいことを言いたいわけではない。アーリャさんは可愛いのだ。ムズムズさせるのだ。ちょっと恥ずかしいのだ。私たちはこれからも、もっともっとアーリャさんを支えてあげたくなるのだ。私たちはとにかく「エキゾチックな美少女」にはかなわないようにできているのだ。

文=株式会社KADOKAWA エグゼクティブ・フェロー
井上伸一郎

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