海外文学で旅行気分――メキシコの人気作家の短編集が待望の日本語訳に

文芸・カルチャー

更新日:2021/9/13

赤い魚の夫婦
『赤い魚の夫婦』(グアダルーペ・ネッテル:著、宇野和美:訳/現代書館)

 まだ気軽に海外に行ける日は程遠そうなこのご時勢に、小説で海外気分を味わいたい。そう思われる方にピッタリな一冊が『赤い魚の夫婦』(グアダルーペ・ネッテル:著、宇野和美:訳/現代書館)です。著者のグアダルーペ・ネッテルはメキシコの実力派作家で、本作には5つの短編がおさめられています。

 中米の文学といえば、1982年にノーベル文学賞を授与されたガルシア・マルケスを思い浮かべる方もいらっしゃるでしょう。非日常的な物事を切り口に現実を描くマジックリアリズム(魔法的現実主義)という手法が彼の特徴で、『百年の孤独』『コレラの時代の愛』等が有名ですが、1973年生まれの女性であるネッテルは、「メキシコ=マジックリアリズム」というイメージをさらに進化させる期待を背負っているのではないかと思います。

 本作におさめられている短編5作は、人間と人間以外の生物の生き方を対比させながら生命の本質を描くという点で通底しています。パリに住むカップルが第一子を生み育てるプロセスと、彼らの家にある水槽にいる2匹の魚の生き死にが入れ子構造として描かれる本書は、妊娠・出産・育児の喜怒哀楽が「詰め放題の袋」の中におさめられたかのような一作です。

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闘魚のように現状に満足できない、不幸にとりつかれた者にとって水槽は、いくら広くても川や池と比べればあまりに狭かった。人間の頭脳もよく似ている。狭いところに押し込められると、陽気な思考や美しい現実の入り込む余地が失われる。そんなわけで、続く数ヶ月というもの、わたしたちはいつでも人生の暗い面ばかりを見ていた。自分たちの赤ん坊のことも、赤ん坊がいることのすばらしさも喜べず、日がのぼることや自分たちが健康なこと、共にいられる幸運といった、無数のささやかな幸せにも気づかなかった。

 昆虫好きの生物学教師の家族模様がゴキブリを切り口に描かれた「ゴミ箱の中の戦争」は、家ではなく屋外の野原(ゴキブリが絶対いなそうな場所)で読むことをオススメします。おそらく、家で(特に夜)読むと、家のどこかにゴキブリがいないか不安になるのに、でも、ゴキブリに何か「人間味」のようなものを見出してしまい、万一出没した際に安易に殺せなくなってしまって困ると思います。

 ネコの性と女性主人公の性が対比されながら物語が進む「牝猫」は、知能的にはより進化しているはずの人間社会が、ネコ社会よりもはるかに面倒事が多い滑稽さ(ネコ好きの方には周知の事実なのかもしれませんが……)が主軸となっている作品です。主人公は、妊娠・出産における様々な選択を「自分で決める」ことをネコから学びますが、獣医師からメスネコのグレタの卵巣摘出手術をすすめられる場面の前後では、「メスの動物から女性機能を取り除くなんて、ひどい!」という怒りと同時に「動物も人間もなぜこんな面倒くさいホルモンバランスがあるのだろう」という疑念が主人公に渦巻きます。

輪廻を信じる文化圏では、男性に生まれると果報と考え、女性はその逆と捉えるという。ふだんあれほど悠然としているグレタが、それほど性ホルモンにふりまわされるのを見ると、一見野蛮な女性蔑視の理論もそれほどでたらめではなく思えてきた。

 悩めるバイオリニストの主人公が、母の足の爪にいた菌に関する幼少期の回想から記憶を連鎖させていく「菌類」。アジア・ヨーロッパ・ラテンアメリカ大陸をまたぐ複雑なルーツを持つ主人公の家庭で、父親が蛇を突然買ってきた日を境に、「蛇にかまれたような」痛々しい出来事や夫婦不和が増幅していく様が描かれた「北京の蛇」。どの作品もどこかドロっとしていて時にゾッとすることもあるのですが、自然に還るかのような清々しい気分を味わわせてくれる、かつ、海外旅行気分なれる「読書の秋」にピッタリの一冊です。

文=神保慶政

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