漫画『ゴッドハンド』はなぜ「週刊少年チャンピオン」に連載されたのか? 希代の編集長を中心に「チャンピオン」の歴史を辿る

マンガ

公開日:2021/9/30

漫曲グラフィティ: あるコミック編集者の回想
『漫曲グラフィティ: あるコミック編集者の回想』(大塚公平/彩流社)

 2021年現在、日本の週刊少年漫画雑誌は4誌ある。「週刊少年ジャンプ」「週刊少年マガジン」「週刊少年サンデー」「週刊少年チャンピオン」だ。発行部数については「ジャンプ」が強いのだが、当然ながら時代によっては強かった雑誌も変わってくる。そして「チャンピオン」も、1978年に発行部数日本一(約250万部)を記録しているのだ。『漫曲グラフィティ: あるコミック編集者の回想』(大塚公平/彩流社)は、そんな強かった時代に「チャンピオン」の編集長を務めた希代の人物を間近で見続けた、ひとりの編集者の回想録である。

 本書の著者・大塚公平氏は「週刊少年チャンピオン」7代目の編集長を務めた人物。しかし書籍の内容は、自身の編集長時代をメインにした自伝的回顧録ではなく、あるひとりの編集者の生きざまを描いたものである。その人物の名は「壁村耐三」。「チャンピオン」を日本一の雑誌に押し上げた2代目編集長であり、数々の逸話で出版業界でも知られた存在だ。著者は編集者として壁村氏のもとで働き、その一挙手一投足を間近で見ていた。回顧録が自身ではなく壁村氏を中心に据えたものであることで、著者が壁村氏をどう思っているかが窺い知れよう。

 ちなみに本書の巻頭に記される話題は、いわゆる「時系列順」ではなく(著者と壁村氏が「チャンピオン」へ異動するのは1972年)、1978年のエピソードで小題は「砕けたゴッドハンド」。古参の漫画好きや、漫画の歴史に詳しい人ならピンとくるかもしれない。そう、あの漫画『ゴッドハンド』のエピソードなのである。この漫画は空手家・大山倍達の一代記を漫画家・つのだじろう氏が描いたもの。ここで「ん?」と思った向きもあるだろうか。この組み合わせは1971年から「マガジン」で連載された『空手バカ一代』と同じなのである。ひとつ違うのは、そこに原作として梶原一騎氏の名がないことだ。結論からいえば、このことは梶原氏サイドの逆鱗に触れた。壁村氏やつのだ氏には連日のように抗議の電話が鳴り、78年16号から始まった連載は25号で打ち切りとなる。後日談も含め、漫画好きの間では非常に有名なエピソードだが、著者はこの作品の担当編集であったという。関係者による本件の回想は非常に興味深く、特に大山倍達氏からは「腹を切れ!」と大刀を突きつけられたというから、まさに剣呑といったところか。

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 普段は昔気質であり、「仁義」を重んじていたという壁村氏。ではなぜ、このような行動に踏み切ったのか。また、著者がこのエピソードを巻頭に持ってきた理由は、単にヒキが強いというだけではないだろう。壁村氏との関わりの中で最も記憶に残る、そして象徴的な一件だったこともあるはずだ。『ゴッドハンド』連載は、もしやりたい、と思っても、普通の編集者なら及び腰になって実行できないだろう。それだけあの当時の梶原一騎氏の存在は大きかったのだ。しかし壁村氏は、あえて連載に踏み切った。著者は推測として、そこには「少年マガジンへの対抗心があった」ためだと語る。これはマガジンに対する「奇襲」であり、だからこそ梶原氏にも事前報告することなく、水面下で動いていたのだろう、と。なるほど、壁村氏の豪腕を間近で見ていた著者だからこその考えといえそうだ。

 壁村氏が2代目編集長に就任してから『ドカベン』『がきデカ』『ブラック・ジャック』など、現在でも名作の誉れ高き漫画が数多くヒットを飛ばし、「チャンピオン」発行部数日本一の原動力となった。なぜ多くのヒット作が生まれたのか。たとえば『らんぽう』という漫画があったが、この作品は壁村氏が連載を指示したのだ。漫画家が未熟だと思った著者は反対したというが、『らんぽう』はヒット。このような慧眼も、壁村氏の強みだったといえようか。

 また一方で壁村氏は酒好きで、若い頃はかなりの武闘派だったとか。著者は直接にその現場を見たことはなかったそうだが、壁村氏の行きつけのバー・紅で物騒な思い出話を漏れ聞いたと記している。たとえばある漫画家が連載中に、担当編集に黙って他誌で連載を開始したときのこと。壁村氏は担当に「今からあいつンとこ行って、これで右腕を潰してこい」といってガラスの灰皿を突きつけたのだ。もちろん実行はされなかったのだが、近くにいた著者は「ご本人ならやりかねない」と思っていたという。

 本書は壁村編集長の時代から、著者である7代目編集長の時代までの「少年チャンピオン」ヒストリーである。著者をして「中心が二代目編集長になったことに異論はまず出まい」というように、壁村氏がチャンピオン史において欠くべからざる人物なのは間違いない。2021年は『空手バカ一代』連載開始から50年経つが、このタイミングでの上梓は、今は亡き壁村氏に対する著者からの「鎮魂歌」ではないかとも思えるのである。

文=木谷誠

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